2019-01-19

他人に友好的に接することで相手を試すようになっている

自分はよく、すぐ他人と仲良くなれるねと言われる。

なぜなら知らない人でも自分から積極的に話し、相手の話に耳を傾け、笑顔を忘れず、人の悪口は言わず、汚い言葉も使わず毎日挨拶ちゃんとして、通りすがり出会ったら手を振って応えたりまでするよう心がけてるからだ。

最初は、周りに知り合いがいない環境からあぶり出すための処世術だった。知り合いがいて、それが気のおけない友であれば毎日楽しいものだ。

この方法は友人になれない、なりたくない人物を洗い出すのにも使える。話しかけてもまともに応じなければマイナス5点、挨拶に応じなければマイナス3点、他人馬鹿にしたらマイナス10点など。別に実際にカウントしてる訳じゃないが、ある程度マイナスポイントが溜まれコイツはもう色々と無理だなと判決する。心の最高裁が「コイツは関わる相手全てを不快にさせるゴミ、将来性なし」と判決するのだ。判決後はもう関わりを最小限にする。最高裁判決なので覆らない。あとでどんなに親しくされようがもう無理。

最近、これで初対面の相手人格を測る事が主目的になっている。「コイツ上告か〜?」などと冗談ぽく考える。

最高裁判決が出た時点でそいつの見込みはもう無い。組織からもかなり早い段階で消えてるか阻害されてる。まあ、それがそもそもの彼らの目的だったりするのだろうからウィンウィンかも知れない。

投資可能性がある相手には投資する。しか無駄投資とならないようにする。これも処世術の一つだ。こんなこと誰もがやってるんだ。

  • 人の心は変わる 一時の評価で人を固定的に見ると、時間の経過に伴う変化を見誤る。 頭が悪くて不幸になる人の典型的パターン。 点ではなく線で見よう。

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