リアルで承認を得られていないと、ネットでそれを求めるようになる。Twitter のファボ、あれはまずい。
なんだか自分の思うことではなく、ファボをもらうためにツイートしてしまっているような気がする。
「他人はどんなことを言っても受け入れてくれる」と思い込まなければやってられない。この人はぼくを認めてくれる、というのも一種の押し付けなのだろう。
そうすると、ネットで周りの人が言った否定的発言も受け取ってしまう。そういう時は、まず自分の中に確信の持てないことがあって、それに類する否定的発言をフォロワーがしていた時に、自分に言っているのではないか、失望させてしまったのではないかと思ってしまう。他人にどう思われるか、というあれである。「神経症性」とどうもいうらしい。
でもやはり、人間なので人から承認されなければ生きていけないと思う。そこは否定できないような気がする。
特にあれだね、専門外のことは不用意に言うもんじゃない気がする。どうにも、少し面白いものを見つけると人にも知らせたくなるような、子供のような気持ちがどこかにあるみたいだ。自分の専門のことだとある程度シビアになるんだけれども、専門外のことだと修練も浅いし、何より「自分は理解している」という判定が甘くなってしまっているような気がする。所詮は素人なのである。なんか見識のある人からすると見苦しいことをやっている気がする。もっと勉強しないとなあ。
あと本かなあ。本を読むそれ自体は悪いことじゃないんだけれども、本から言葉を借りる時に、そこにオリジナリティーはあるのかという。自分の心にしっくりくるというか、引用するのはそういうものだけにしようと努めているつもりだけれども。まあとりあえずは「濫読」ってやつをやってみようと思う。
なんだかね、そういう自分を批判されているような気がするんです。少なくとも自分はなんだかまずいことをやっているという自覚がある以上、どうにかしないとねえ。
うんち
おっぱい
イラク
目標発見ッ! ふぁぼを投下する! _ ⋀⋀ / | _/(・ω・)/☆ | !/ .} ̄ ̄ ̄ / i\_}/ ̄|__/≡= ` ̄ ̄~☆ ~☆ ...