私たち平成世代の側の人間は、学校にロマンスを求めてしまうが、偏差値の上下を問わずに、本来は教育のための施設でしかなく、細やかな教育の手法に対応できるものではない。
それでいて、学校の教育支援よりもよほど便利なシステムは予備校などすでにいくらでもあるので、細やかなアップデートを図られることなく、用途の短縮ばかりが進み本来の設計思想と相容れない運用がなされ、益々何のための施設なのかさっぱりわからなくなり、自滅しているのである。
こういうと私たちには耳の痛い話だが、学校はNIMBYでもあった。ゆえに、住宅地の片隅にしか学校が作られなかったし、学校数も少なく抑えられた。戦前の時代、あの施設で軍隊的な指導をしまくっていたのだから、近隣住民からすればたまったもんじゃない。しかもボール飛び出し防止ネットはあまり完備が進んでいなかったので、野球のたびにボールがあちこちに飛びまくっていた。文化的なイメージは後から追加されたものに過ぎず、もし我々が戦前や戦時中の時代の人間だったなら、たぶんあんな施設嫌いになるんじゃないかと思う。