例え話をしたり比較対象を変えたりするのは、結果として大抵あらぬ方向へといくのを承知で敢えて言ってみると、男性が受けるDVやセクハラの件数について考えてみると身近に感じられるかもしれない。
単純に男性のDV件数を調査した時は低かったのに、具体的にどういう行動を受けたか、というのを質問項目に入れたら急に件数が増えた、という話。
デートDVなんかでもその経緯を辿って(男性女性関係なく)件数が凄く増えたりするんだよね。
グーで殴られるkとイメージしていたものが、暴言を吐かれるとか、デート代は自分持ちを強制されたとか、そういう項目を具体的にすると件数が変わる。
また、言い出しにくい話でもあったりして、恐妻家の話なんかが当たり前に今でもTVでやっているけど、あれはどう考えてもDVだろうというのが家庭を維持する為にDVではないと言ったりして、これが無回答だったり、項目に当てはまるけど、DVではないと自己判断で書いたりする。
世間に認知されていない被害の問題はどうしてもこういったことが起こりやすく、事件などで大きく広がったりして認知度が上がらないと件数として現れない事が多いので、社会学者などは凄く気をつける。
初期の公害問題なんかでもこの現象は起きていたし、福祉関連などでもやっぱりあるし、そもそも自分たちが子どもの頃教師から受けていた体罰と現代の言われる体罰との感覚の比較などをすれば、言語化されてない頃の件数があまり信用できないものだと言われても仕方ない所だと思う。
それはそれとしてその段階での統計は、十分有用性があるけれども、と、まぁ、歯切れの悪い話にならざるを得ないのが辛い所だよなぁ。
デート代は自分持ちを強制されたとか 最近の活動家様の定義ではそれもDVなのかよ ついていけん
アホすぎても当たり前すぎてもスルーされる ちなみにきみは後者
デート代自分持ちって女に全部払わせるってこと?割り勘でなくて ヒモじゃん