http://koshian.hateblo.jp/entry/2018/10/09/184510
こうして当事者である男性オタクたちは「萌え」と「エロ」が違うものだということに気づいていく。それは少女的無垢性への憧憬であり、無垢な少女への自己同一化であり、無垢な存在に受容されることそのものであった。
一方多くの女性オタクたちは「萌え」概念の導入において、おそらく「既存のものに名前がついた」という感覚だったのではなかろうか。彼女らが求めていたもの、それもやはりエロではなく「関係性」であった。鉛筆と消しゴムがいたらその2者の関係性を妄想して2時間は過ごせるという女性オタクは少なくない。そこにエロが含まれることも少なからずあるが、それは彼女らにとってスパイスのようなものだろう。スパイスの効きまくった料理が好物でしょうがない人も少なからずいるのではあるが。
こちらのブログ記事を頷きながら読んでたんだけど、いまひとつ腑に落ちないところがある。
「萌え」と「エロ」は全く違うものなの? 記事では少なくとも切り離せるものだと解釈されているようだった。猫や無邪気な子どもを見たときの可愛いさと通底するというのはよくわかるんだけど…
コメントに、純粋だった「萌え」に「エロ」が途中で混ざったので、それを抜き去って「尊い」概念になった、というような意見があった。ナルホドと思ったんだけど、でも「シコい」もまた「萌え」から生まれた言葉だよね。
言葉の定義次第だろそんなの。こいつが萌えに性欲がないというならそういうことなんだろ。
単純な話だよ 引用の記事に抜けてるのは「人生経験積んでる」という時間経過がない 何へ萌えを感じ、何にエロを感じるなんて時間経過で変わっていくわけであって、その間に就職や...
「萌え」と「エロ」の概念はまったくの別物であっても、 現存する絵なり対象には、それらの要素が混ざり合った形で含まれているんだよ。 ネコ=萌え100% とあるアニメキャラ=萌え7...
萌えのルーツの一つが80年代のロリコンブームで、 90年代エロゲブームのあたりで萌え=純愛←→陵辱みたいな雰囲気になって、 そこからまた「萌エロ」として統合されて、みたいな。
うむ、同感である