これは自身の思い込みなのかもしれないけど誰か共感して欲しい。
自分が特定のものに対して優位であるべき(はず)だという考えはいくつかあると思う。卑近な例をあげてしまえば「自分は学年一位を取っているはずだ」だとか「自分は良い大学に行くべきだ」だとか「良い車が欲しい」といったことだ。そして、大抵の場合このような考えや理想は現実では叶わない。たとえば、大学に落ちてしまうとかといったことだろう。この時僕たちの気持ちはどん底に落ちるし、あるいは生きた心地がしなくなってしまうだろう。そうやって落ち込んでいると世の中の人様は「そんなに自分(または世の中)に期待しちゃダメだよ」だとか「誇りを捨てろ」だの言うのだ。まるで自分が特定のものに対して優位であるべきという考えや理想は自分が優れているという傲慢さから来ているのだと言いたげのように。
彼らはまるで何もわかっていない。もちろん、自分が特定のものに対して優位であるという理想は傲慢からくることもある。しかしながら、この理想はそれだけではなく自己評価や自己肯定の低さからくることだってあることを理解してほしい。「僕は優れている人間だから良い大学に行くべき」じゃなくて「僕は今までカースト最下位だから、自分のカーストを打ち破るために良い大学に行くべき」と考えている人だって少なからずいると信じている。悪い境遇を受け続け自分を高く評価したり肯定したりすることが出来なくなってしまい、自分が存在する意義がわからなくなる人間がそうであろう。自分が存在する意義や価値を見出すためにどこかで優位性を示さなければならないと考えて自分の理想像を作り上げるのだ。のような人間が理想をかなえられなかった時に「誇りやプライドを捨てろ」だの「自分に期待しちゃダメ」と言ったらもう二度と立ち直れないと思う。なぜなら、その言葉は自分が存在する意義や価値を否定する言葉なのだから。大抵は優しい世界にでもいたのか自分への評価が普通以上の人間が言う慰めにも糞にもならない言葉なんだろうな。普通以上の人が羨ましい。こんなこと言うなら存在意義も価値もない自分を認めて欲しいと強く思うがこの想いすら伝わらないんだろうな。
長い。三行でまとめて。
マジレスすると、最下層のカーストから脱出するために頑張るモチベーションとして 心に秘めるのは良いと思う。 言うのは成功してからだな