小学生の頃、私は信じられないほど足が遅かった。体はぽっちゃりぎみ、本を読むのが好きで運動はからきしだった。鬼ごっこで逃げきれた試しなどない。中休みに外に出るのが辛くて仕方なかった。
私の通っていた小学校は児童数が少なくて、一クラスも20人ほど。体育の時間は一人一人が全員の前でやることが多く(実際にその時間をとることが容易だったから)、私には酷く苦痛な時間だった。
小学校5年生の体育の授業で、リレーの選手を選ぶために、80メートル走を二人組でやることになった。私と走ることになったのは少し知的障害ぎみで援護学級にも通っている体の大きな男の子だった。その子もあまり運動が得意ではなかったと思う。
先生の合図で走り始めて、みんなが私に注目する。それだけで嫌で嫌で仕方ないのに、隣の男の子とほぼ同列で走りながら私はびっくりした。
「すごい〇〇!!勝てるかも!!」
クラス中の子達が、目を輝かせて、大きな声で相手の男の子を応援していた。その中にはなんと、担任の先生の姿もあった。ただでさえ動きにくい足が、ずんっと重くなったような気がした。
そのままずるずると遅れていって、結局リレーは負けた。クラスメイトはその男の子の周りに集まって、「頑張ったね」「すごいね」と褒めている。担任の先生も嬉しそうな顔でその輪の中にいた。
その日のヒーローはその男の子だった。私はヒーローをつくるために脇役になった。脇役にさせられた。
家に帰ってから初めて涙が出た。正しく美談であるはずなのに、その輪の中に入れない自分が悲しくて仕方なかった。
先生はきっと、クラスの子達に「弱い子を理解し、応援する素晴らしさ」を教えたかったんだと思う。それでも、その犠牲になる子の存在を、もっと意識して欲しかったと思う。
脇役というか引き立て役だな