生きるための許可を得られず、免責されるための条件も満たせなかった。
つまるところ、ただの未練がましい自分語りです。
「ウチ」と「ソト」という概念があるとおり、「ウチ」の中ではとりあえず生きてよいと免責されます。
残念な事に、「ソト」に属する人に対しては、この免責はなくなります。
NIMBY だと広すぎますが、人に関係する範囲に限定すれば正しいでしょう。
このために顔、人柄、来歴、性格、価値観といったもので、生きる資格を得ようとしているわけです。
建て前というのは、「あなたと私は共通した価値観を持っています」と表明する儀式です。
"同じである"という事を言外に言うための方便として建て前があります。
このルールを守り続けられれば、生きる資格がなくても免責されます。
先ほどの「ウチ」の間でも、入ってほしくない人が入ってしまう事があります。
こういうときに、その人にとっては既知じゃない建て前を使う事で
「ウチ」にふさわしくないと「ウチ」から追放されてしまいます。
このため、どこまで同じだと言えるか、というも非常に重要です。
あらゆる人に対して "同じだ" と言える材料すら持てませんでした。
「ウチ」に入れない人が生きる資格を得るにはどうするか?
同じでないために与える不快感、拒絶間を上回るメリットを出さなくてはなりません。
これが、いわゆるギブアンドテイクというものです。
どれだけギブすればテイクされるは、テイクする側が決めることです。
要するに、どれだけ「ウチ」に近いかでテイクするかが変わります。
自分はこれを果たすために、3年間弱くらい 4時間も寝ない生活をしていました。
ひたすらに続けた結果、自分の事が何一つ出来なくなりました。
やっぱり直接死んでほしいと言われないとダメなので立てました。
お前がごちゃごちゃ書いてるようなことは全部聖書に書いてある。さっさと教会に行け。