Twitterとかで「自殺」という単語が出てくるたびに胸が締め付けられるような気持ちになるので適当に落としておこうと思う。
親は数年前から精神病を繰り返していて、すでに病気にかかった状態の親に慣れつつあった私は「今回はいつ頃治るのかな」と思っていた。
精神病になって自分を見失ったかのような行動をとる親はとても怖かったけど、でも親は親だし、どんな親でも大好きだった。
将来はたくさん稼いで、今苦労させてしまっている分、私が楽をさせたいと思って毎日学校に通っていた。
そんな折に親が自殺した。
正直、あの時のことは思い出したくもないし、あまり泣かない子供だった自分が人目をはばからずに泣いた。
思い出したくないことって割と頭の中に染みついてるのか、今でも結構な頻度で思い出す。
遺書、あったのかな。子供だった私には伏せられたのかもしれない。あったのなら見せてほしかったけど。
閑話休題、私は親が死んでしまったことよりも「自殺」したことに絶望した。
「ああ、自分で死を選んじゃうくらい辛かったんだな」とか「軽く考えてた昔の自分を殴りたい」とか、後悔のオンパレード。
親の死に顔を見て「憑き物が落ちたような顔してる」とか言われてもやるせない気持ちでいっぱいだった。
私の我が儘でしかないのだけど、私は親がいるだけで幸せだったし、親が辛いなら私が幸せにしたかった。
「たくさん不甲斐ないところを見せた」って申し訳なさそうにしてたこともあったけど、私全然気にしてなかったよ。
なんで勝手に絶望して勝手に死んじゃったの。私、今の方が不幸せだよ。信じらんない、馬鹿。
あれから数年生きてきて、クソみたいな生活を送っている私だけど「自殺」だけは絶対にしないと決めている。
「こんなクソみたいな生活してるんだから死んだ方が世のためなんじゃないか」と思う日もあるけど、あの悲しみをまた兄弟に味合わせたくないという一心で生きている。
「自殺は甘え」だとか全然思わないし、むしろ「自殺するまで追い込まれてしまったんだな」と思うけれど。
でも、あなたが自殺したらとても悲しい。あんなに幸せだった思い出も全部寂しいものになっちゃう。
今でも、こんな気持ちになるなら一緒に死にたかったなって思うよ。私はずっと親に囚われてる。
最後に。
速度違反をしながら信号無視して交差点に突っ込んでくる車を見かけると「轢かれてやろうか」と思うので、そんなことしてる人はこれを機に改心してください。