仮に天国があるのだとしたら、あの世があるとしたらこの世は何なのか?
もし天国があるとしたら天国があるにも関わらずこの世が必要な論理的な理屈とは何なのだろうか?
仮に天国があり、この世はジェットコースターのような感覚で自由に遊びにきているのだとしたら、
この世はテーマパークのようなものであり、尊厳が失われるかと思うが、どうか?
そうではなく天国に至るための前段階としての試験場とこの世を捉えたらどうか?
天国に至る資格のある人間を選定するための環境として捉えてみてはどうか?
何物から、何者から、超越存在から間引かれるような立場で、まるで作物の林檎の選定のような扱いを受ける人類の尊厳とは、どうか?
私たちの宇宙が、目で見える範囲で、目に見えない範囲でしかなく、
虫や鳥や、牛や動物たち、木、細菌、無機物、有機物、分け隔てなく帰る世界なく、
この宇宙に内包されるのみの存在であり、そこに理由はなく、原因もなく、ただ在るばかりの答えしかなく、
つまるは空であり、空に変える、般若心経の教えそのものだとしたらどうか?
では無駄ということで、どうか?
神が用意したとして、それも良し。
はたまた偶然が用意したとしても、それも良し。
いや、人為的要因がなくともいずれ地球は住めない惑星となるが、結論とはどうか?
生命とはどうか?
他のものが欲しい。
真理が欲しいわけでなく。
ただ、他のものが欲しい。
これはもう、いい。
これはもう欲しくない。
これと違うものが欲しい。
これじゃないものが欲しい。
違うものが欲しい。
もうこれはウンザリだ。
ウンザリだと叫んだ。
これしかない。
真理などいらない。
これじゃないものが欲しい。
うだうだと先人が考え尽くしてきたことの焼き直しするくらいなら、 とっとと仏門にでも入った方がマシだぞ