2016-11-16

「見たいものしか見ない」ネット時代と取調べ可視化

個人的には、取調べの可視化は行うべきだしこれで告発受理しなかったらケーサツの威信は地に落ち最悪の恣意的暴力装置に成り下がると思うが、それはそれとして、標題の両者はとても相性が悪いのが気になる。

取調べ可視化の具体的なツールとしてどういうものが想定・議論されているのかよく分からずとりあえず録画録音による動画公開と前提しておくが、例えば録画中で取調べされてる容疑者の態度が死ぬほど悪かったとき、我々の社会はどんな風に判断するだろうか。

単に容疑がかかったという段階では当然の権利要求することさえ、ずうずうしいとかふてぶてしいのでけしからんみたいな、そういう話になりはしないか

「これだけの悪事に関わっていてこの態度なら、警察暴力に走るのは仕方がない」という流れになりはしないか

今回暴行で死亡したのではないかと言われている容疑者だが、なんの容疑かと思えばなかなかスゴイ事件である

こういう事件容疑者の態度がゴミだったとき、「それでも彼は法的には犯人でなく容疑者に過ぎないのだから守られる必要がある」と冷静に考えることができる社会になっているだろうか?

あるいは、取調べ可視化を経てそういった成熟した社会を目指す余地というか下地が、既にできている社会だろうか?

ネットリンチバッシングネタとして消費されておしまいにしないというコンセンサスが、せめて社会構成員の半分くらいにおいては、取れていると言えるだろうか?

地獄を見る気がして憂鬱になる。

  • アベを崇拝しているクソジャップの愚民どもには無駄だから増田のような冷静に見れるものたちに任せとけってことだよな。

  • まあ、ネットだけで愚痴ってスッキリしてぐっすり眠れるんですけどね 別に正しい世の中にしたいわけじゃないし

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん