ポリコレに関わる話でよく見る現象がある。アンチポリコレな人がポリコレ的な批判をするというやつだ。
最近ブクマを集めている例ではこれ(http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20161109215129)だろう。
内容を簡単に言えば、ポリコレによって言論が抑圧されて云々というよくあるやつの変形バージョンだ。
さてそんな発言をしたetc-etc氏は、Ryo氏なる人物に脅迫されたらしい。恐ろしいことだ。
この話題に関してついたブコメには当然ながら脅迫への批判が多い。
そして興味深いことに、ポリコレを腐しながら、同時に脅迫への批判すなわち"ポリコレに則った批判"をしている人々がいるのだ。
アンチポリコレにもかかわらず、Ryo氏を"ポリコレの棍棒で殴"っている。
なぜだろう?彼/彼女らの忌み嫌う行為ではなかったのか?ポリコレを振りかざして人を批判するというのは。
ある種の人たちは:
"自分"から"他者"への攻撃的な言説、それに対する批判をこそ"ポリコレ"と呼んでいるのだ。
"他者"から"自分"への攻撃的な言説、それに対する批判については"ポリコレ"と見なしていないのだ。
なぜなら「"自分"への攻撃的な言説」にポリコレ的観点からの批判が含まれるゆえに。
だからこそ、"自分"を攻撃してくる"他者"への反撃は、ポリコレどころかむしろアンチポリコレな言説だと認識しているのだ。
だから「脅迫はいけない」「被害者が脅迫と感じた時点で脅迫だ」などという(彼らにしてみれば)実にポリコレ的な批判も、アンチポリコレ的な意図で発することができる。
もちろん"自分"が「脅迫はいけない」「被害者が脅迫と感じた時点で脅迫だ」と批判された場合、それはポリコレであり、"自分"の自由を侵害する恐るべきものと認識される。
忘れてはいけないのは、同様の機序でポリコレ擁護者がポリコレに反する言動をすることもあるということだ。
"他者"→"自分"の攻撃をアンチポリコレとすれば、"自分"→"他者"の攻撃はポリコレになるわけだ。内容に関わらず。
なんとも不毛なことだ。
追記
こんなに早くトラバがつくとは嬉しい限り。
だからな、低能 差別と個人攻撃は別なんだよ、低能 差別とかヘイトっていうのは、個人ではなく属性に対する攻撃なんだよ、低能 ポリコレは個人間の喧嘩は否定していない これ何度教...
あと「差別と感じたから差別」の場合にしろ、ちゃんと文脈は存在するからな? 差別は文脈と切り離せない