ネットではあらゆるものが叩かれており、自分の好きなものが叩かれている場面をある程度ネットをしている人ならば誰しも見たことがあるだろう。
叩かれる理由は、そのもの自体が嫌いだという理由からそのもののファンが嫌いだというものまで嫌いな人の数だけ嫌いな理由がある。
そんな場面に遭遇した時、普通の人ならばその好きなものがこれ以上嫌われないようにしようと自らの振る舞いを改めたりするだろう。
しかし、そんなネットにおいても極端に叩かれることが少ないジャンルというものも存在する。
例えば、スピッツというバンドなんかはネットのどこを見ても知名度の割に驚くほど叩かれていない。
叩かれない理由としては、メディアへの露出が少ないとかバンドメンバーのキャタクターや不祥事のなさ、バンドや楽曲のクオリティが高いなどの理由が挙げられるだろう。
そんな叩かれることのないスピッツというバンドのファンはネットでのふるまいにおいて時折無邪気さを感じさせることがある。
(別の無邪気さを持つ10代の子どもは除き、)叩かれやすいファンなどは、そのものについてネットで語るとき、
「押し付けがましくならないか」「一人だけ浮かれたテンションで語ってないか」などの謙虚さや自衛する意識を匂わせるような話し方をする。
これはネットで自分の好きなものが叩かれたことや叩かれる場面を見てきたことによるネット上でのリスクマネジメントの一種であろう。
一方、ネットで叩かれたことのないスピッツのファンはというと、スピッツを語るときにとても無邪気なのである。
嫌われたり叩かれることのないスピッツのファンなので、距離感やテンションなどあらゆる面でポジティブであり、不思議な事に皆まるで人は皆良い人だと信じている人のような語り方をする。
では、こんな無邪気なスピッツファンが叩かれているのかというと特別叩かれているわけでもなく、それゆえ彼らもまた無邪気さを保っている。
あらゆるものが理不尽に叩かれているネットという空間において、このような人の手が加えられていない自然のようなコミュニティが存在することに私は興味を覚える。
正直、スピッツ以外のこのような事例を私は知らないが、知名度の割に純粋さを保っているコミュニティは私が知らないだけでこの広いネット上に存在するのかもしれない。
文末のオチは増田にありがちなのでともかく、叩かれないようにおとなしくするのが普通という感覚が理解できない。 自分が好きなもんを普通に公表してる分にはいいんじゃねーの。 な...