真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ、受け手の感性が絶対的な価値判断ではないという前提はもちろんある。
誤解している人も少なからずいるが、「論理的にみて妥当ではない」ことと「面白くない」はイコールではないからさ。
逆も同じことで、「論理的にみて妥当」であることと「面白い」はイコールじゃないだろう?
つまり、話の整合性であったりとか、論理的にみた妥当性とは「面白さ」を判断する要素の一つでしかないということさ。
「論理的にみて妥当ではない=面白くない」が基準ではない以上、その他の要素で「自分は面白くない」と言っているのと、本質的には同じなのだよ。
では、なぜ誤解している人が多いかというと、「論理的に見た妥当性」は人に自分の考えを理解させるのに効果的だからだ。
例えば、「ガルパンはいいぞ」というだけでは、共感できない他人はなぜ面白いのか分からないだろ?
それをストーリーや展開であったり、設定やキャラの造形であったりなどを様々な要素を説明していけば、「なぜ面白いと思ったのか」を理解してもらうことは可能なわけだ(共感するかは置いておくにしても)。
これは逆も然りだが、「面白くない」という感情は負の側面が強く反感を持たれやすい。
なので主張に正当性を持たせるために、より普遍的であろう要素を用いる。
それが「論理的にみた妥当性」によって作品が批判されやすい理由というわけだ。
まあ、非論理的で話にならないよりはマシだとは思うが。