2015-07-14

フィクションに求めた

俺の人生もうダメなのはわかってるから

妄想ってか、フィクション小説とか。そういうのに求めてる部分あるんだけど。

いまいち満たされない。

なんつーか、フィクションで満足できるってことが薄くなった。

  

確かに感動する。確かに面白いしかし、なんつーか、見たそばから「見たことある映画」みたいな感じになる。

本当の体験って、感情とかが記憶できないようなものらしいんだけど。西田幾多郎純粋経験かいう感じらしいけどさ。

そういうのって、やっぱり本とかじゃ厳しいのかなって。

本を素地にして体験できればいいね。みたいな?

リアル体験とは隔絶の差があるってか。

あれだ、料理番組見てもおなかいっぱいにならないみたいな。旅番組見ても旅した気分的な。

  

じゃあ、普段俺の体験してるものはって。家と職場の往復みたいな。

職場放棄ちゃうとじゃあ自分は何ができるのか。大学行ってたモラトリアム無限時間にナにやれてたのか。

何もやれてねえんだよなあ。

  

自分人生もうだめだから、フィクションと思ったけど。

フィクションって、人生の追体験っていうよりは、絵の鑑賞に近い。ある風景を見てる気分にさせてくれるというよりは、ある種の表現を見ているのに近い。

ってのが悩み。

フィクションの楽しみ方を忘れてしまったのかなあ。

昔は、なんとなく自分の体験のように感じられた気がするけど、勘違いだろうか。

  

昔読んだ小説自分ことみたいに感じられたんだよなあ。

クソ小説でもさ。

小6年の男の子毎日家に帰らず、学校備品部屋にこもって、コンビニで買ったクソまずいご飯食べて、その味が食べても食べてもまずくてノリみたいな味しかしない。

って本でしか読んだことなかったし、その小説はクソ小説だったのに。すんげー追体験できていて、今でも覚えている。

それが、できなくなった。感情っつーか、大人になると耳が遠くなるのと一緒なのかな。って思う。

感情機微がなくなっちゃったんだよなあ。

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