2015-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20150325130815

程度や症状の質の詳細を知れば、たぶん納得できると思う。

あと実際には、一つの精神病も一因である行為(か出来事)が、

「本人が悔い改めるべき非道」か「病気のせいだからしょうがないよね…」のどちらかになるわけではなくて、

ある点では病気のせいでしょうがないが、ある点では改めるほうがよいということになるだろう。

狭い意味での精神病に限っても、

自分迫害され続けていると信じているが、直ちに殺される切迫感までは感じていないのに、

自分迫害していると妄想患者が信じている相手を殺した場合と、

目の前にいる人が武器を持っていて、抵抗しないと殺されると強い恐怖感とともに感じて暴れたら相手が死んでしまった場合とではたぶん対応は異なる。

というか、程度の違いによって扱いが分かれることに納得できないなら、

上の妄想や幻覚が事実だったとして、それらへの対応が分かれることにも納得できないはず。

たとえば実際に迫害された怨恨による殺人正当防衛による殺人への対応が分かれることにも。

典型的サイコパス精神病神経症(古い用語法かもしれないが)とは遠い人々だが、

元の疑問を抱いた人は精神障害精神疾患に含まれると考えているのかもしれない。

彼らがその楽観的な気質ゆえに自分自分利益のために他人を殺しても罰を受けるようなヘマはしないと考えて人を殺したときに、

実際にはヘマをしたのに罰を受けないのは、それこそ納得ができないんじゃないかと思うが。

それに彼らはその楽観的で苦しみを感じにくい気質のおかげで人生を謳歌している。

多くの人々が苦しみによって踏み止まらざるをえないことをなすことによって自分利益を得るのはいいとしても、他人に害を与えたときには、

せめていわば外側からの罰は被っていただきたい。多くの人々はいわば自らの内側からの罰によって苦しんでいるのだから

いや無駄な罰を被ってもらう必要はないな。

他人に害を加えた後で、その程度に応じて、一定期間他者危害を防止できるようになればよい。

彼らの人生の楽しさはある程度は弱くなるだろうが。

記事への反応 -
  • 程度こそ違うにしろ。 それが「本人が悔い改めるべき非道」だったり「病気のせいだからしょうがないよね…」に分かれるってのは、理屈ではわかるが、納得はし辛い。

    • そもそも精神障害があるかないかで分かれるわけではないだろう。 狭い意味での精神病に限っても、 自分が迫害され続けていると信じているが、直ちに殺される切迫感までは感じていな...

      • 意図的に他人を殺そうと思ってる時点で、狂ってると思うのですが。 これは殺人じゃないですが。 万引き止められぬ高齢者の実情 罪悪感覚えながら抑制できず http://headlines.yahoo.co.jp/h...

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