うちの会社には定年後も働けるシステムがあるが、多くの人は定年で辞めてしまう。
H本さんは珍しく定年後に10年以上働いており、仕事は資料室の管理をしている。いつものんびりお茶を飲んでるような人らしい。
H本さんの現役時代の肩書は営業の課長代理で、出世した人ではない。同じ年代で会社に残ってる人はみな本部長以上だ。
ただ、H本さんは現役時代は優秀な営業だったといううわさがあった。真偽のほどはわからない。
あるとき、営業の手配ミスがあり、大騒ぎになった。相手はその会社向けの営業部があるぐらいのビッグユーザーで、A社という。
担当課の課長と営業部の部長がA社に呼ばれてカンヅメになった。A社に居る二人から営業部にひっきりなしに状況の問い合わせ電話があるが、状況は進展しない。手配ミスがあった製品はプラント向けのやや特殊な計測器で、海外メーカーのパーツがいくつか利用されているリードタイムが長いものだった。その計測器が無いとA社はプラントの稼働計画に変更を余儀なくされ、四半期決算に影響が出かねないという。
A社では対策室が設置され、2人は連日A社の対策室に出社している状況だった。
状況が好転しないまま数日がすぎたある日、対策室にA社の専務が現れた。専務は引退間近ではあるものの、A社創業家の出身で3代目社長の片腕とまで言われた人だ。
専務は部長に「H本さんはまだいらっしゃいますか?いたらお会いしたいのですが。」と言った。うちも数千人の社員がいるので、部長はどのH本だかわからなかったが、専務に聞いた話をもとに総務に問い合わせたところ、資料室のH本さんではないかということになった。急きょH本さんがA社に呼ばれた。
専務は懐かしそうに「H本さん、あなたちゃんと麻雀の負け分払ってよ。」と言った。H本さんは一時期A社担当で、その時のA社サイドの窓口が専務だったとのこと。麻雀好きだった二人は最初は接待麻雀だったが、やがて接待抜きでよく打っていたらしい。「なにやら大変そうですが、仕事は現役に任せて久しぶりに打ちますか。」とH本さんは言い、二人は雀荘に出かけていった。
対策室は相変わらず進展しない状況を抱えたままぐつぐつと煮えたぎり、課長の残り少ない髪の毛は完全に抜け落ち、部長は奥さんに不倫がばれて離婚した。