以前ドラッグを好んで使用していたものとしてその危険性を書き記しておきたいと思う。
ちなみに覚せい剤を静脈に打つ以外のことなら大抵やったことがある。
ここで使用するドラッグとはシャブ、コカイン、エクスタシーなどのいわゆる速いドラッグのことである。
私が感じた危険性は、止められなくなるとか、脳細胞が死んでしまうので危険とか、
よく一般的に言われているものではなく「これより楽しくて感動することはないと思ってしまう」ことである。
そして、その感覚にたどり着くために「一切の努力が要らない」こと。
本当に心揺さぶられるものって、努力の先にあると思うし、そうあるべきだと思う。
一人で何かを頑張って得られるものでもいいし、誰かと一緒に何かを頑張った結果であってもいい。
甲子園で球児たちが泣いたり笑ったりしてるのは、今までの努力があったからこそである。
あれが例えば甲子園開始日にただ集まった野球好きであれば、笑いこそすれ泣くことはないだろう。
しかもその感覚は本物である。(脳をそう思わせるようにコントロールする)
当たり前のことだが、何かをつかむため(=楽しい気持ちになるため、感動するため)に努力しようという気が起きなくなる。
私はこれを多くの「俺は月一回、あたしは盆と正月だけだから大丈夫」とか宣っているライトユーザーに伝えたい。
気づいていないだろうが、あなた達の脳はすでにドラッグによって焼かれている。
そして、そのせいで新しいことや努力が必要な場面に出くわすと、その感覚が蘇ってくるだろう。
そして悲しいことに普通に生活していると、あれ以上のものは得られないのである。
私も今でもあの夏のあのハイになった情景を忘れられない。
※これはASKAのように、確実に捕まることがわかっていてもやめられないようなレベルまでいった人を対象とするわけではありません。
当たり前のことだが、何かをつかむため(=楽しい気持ちになるため、感動するため)に努力しようという気が起きなくなる。 そもそもないから問題ないだろう