2014-06-26

ドラッグの本当の危険

以前ドラッグを好んで使用していたものとしてその危険性を書き記しておきたいと思う。

ちなみに覚せい剤静脈に打つ以外のことなら大抵やったことがある。

ここで使用するドラッグとはシャブコカインエクスタシーなどのいわゆる速いドラッグのことである

私が感じた危険性は、止められなくなるとか、脳細胞が死んでしまうので危険とか、

よく一般的に言われているものではなく「これより楽しくて感動することはないと思ってしまう」ことである

そして、その感覚にたどり着くために「一切の努力が要らない」こと。

本当に心揺さぶられるものって、努力の先にあると思うし、そうあるべきだと思う。

一人で何かを頑張って得られるものでもいいし、誰かと一緒に何かを頑張った結果であってもいい。

甲子園球児たちが泣いたり笑ったりしてるのは、今までの努力があったからこそである

あれが例えば甲子園開始日にただ集まった野球好きであれば、笑いこそすれ泣くことはないだろう。

しかドラッグはそこまで、わずか数秒で達することができる。

しかもその感覚は本物である。(脳をそう思わせるようにコントロールする)

これを楽しいからといって続けているとどうなるか?

当たり前のことだが、何かをつかむため(=楽しい気持ちになるため、感動するため)に努力しようという気が起きなくなる。

それこそが本当に私がドラッグ危険であると思う理由である

私はこれを多くの「俺は月一回、あたしは盆と正月だけだから大丈夫」とか宣っているライトユーザーに伝えたい。

気づいていないだろうが、あなた達の脳はすでにドラッグによって焼かれている。

そして、そのせいで新しいことや努力必要な場面に出くわすと、その感覚が蘇ってくるだろう。

努力なしですぐに報酬が得られるあの感覚が。

そして悲しいことに普通に生活していると、あれ以上のものは得られないのである

私も今でもあの夏のあのハイになった情景を忘れられない。

いつまでも脳のかゆくて届かない部分に焼き付いているから。

※これはASKAのように、確実に捕まることがわかっていてもやめられないようなレベルまでいった人を対象とするわけではありません。

 あくまライトユーザー対象。というか、ライトユーザーのほうが実は表面的に分からないぶん危険かも、というお話です。

  • 当たり前のことだが、何かをつかむため(=楽しい気持ちになるため、感動するため)に努力しようという気が起きなくなる。 そもそもないから問題ないだろう

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