2014-05-25

PC遠隔操作片山さんについていろいろ

PC遠隔操作片山さんの動機について、理解できないというコメントをしばしば見るけど、私の場合はむしろ逆で、その動機がすごくよく理解できるように感じた。むしろ「この人は私に似ている」とも思った。

それで、その「片山さんのことを理解できない」という人たちに対していろいろ書いてみたくなったのでここで書く。

動機について

元々の動機については目立ちたいとかって気持ちと好奇心だろうな、と思う。まあ、通り魔してみたいとか、爆弾しかけて予告状出して世間を騒がせたいとか、そういう多少なら誰にでもあるような犯罪願望(誰にでもあるよね...?)が人より大きかった、ということなのだと思う。メールが過剰に演出的なのもそこらへんが理由じゃないかな。

ただ、正体がバレるきっかけとなった最後メールだけはそれにくわえて「疑われていることの苦痛不安を払拭したい」という気持ちがあったのだと思う。基本的に「打算的な」行動というのができないというか、リスクを適切に判断することについては大変に苦手なので、よく指摘されているような「あのメール出さずに裁判続けてれば無罪になれたのでは」「あのメールを出すことでバレるリスクが急激に高まったのでは」なんて考えは頭にない。

まず犯人として疑われている状態に対する「不安」があって、なんらか行動起こさない限りはその状態が続く。だが真犯人を装ったメールを出しうまくいけばその「不安」をなくせる、となればメールを出すさ。それがうまくいく確率とか、そういう打算的なことを考えるのがとにかく苦手なのである。現状不安で、その不安を払拭する方法真犯人を装ったメール出すことしか思いつかない、そうなればメールだすさ。あとはただ単にあまり頭が良くないというのもあるけど。

罪悪感について

あんまりなかったんじゃないかなあ。といっても、おそらく他人から責められることをひどく恐れるタイプには見えるのでそういう意味サイコパスとは違う(サイコパスは、そういった人から非難されることの恐怖がまったくない人たちだと思っている)。ただその恐怖を「罪悪感」として肯定的に捉える認識フレームが育っていなかった、という感じなのだと思う。

この、「罪悪感はないけど人から責められることは怖い」というのが非常に重要で、これが上に述べた最後メールを出すに至った動機にもつながる。

罪悪感があれば当然そもそもこんなこと(追加のメール)はしてないだろうし、かといって責められることが怖くなければわざわざリスクを負って現状(ひどく不安苦痛な日々)から抜けだそうと思うこともなかったんじゃないかな。

責めを負うことの恐怖についてはむしろ人以上で、むしろそれ故に恐怖から逃げることを選び罪悪感が育たなかったのだとも思っているけれど、これについてはあまり考えがまとまっていないので書かない。

最後

全部妄想なので当然ながら全く違うかもしれません。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん