2014-04-03

いじめ本質っていうのはいじめという認識がない事だっていうけど

だったらいじめっ子は何故に集団で一人をいじめるんだろうね。

普通に考えたらその手の認識がない事はいじめる側の見解であってもいじめられる側に則った趣旨でない事だけは確かだよね。

いじめって口の暴力だけでもいじめって認識があると思うんだけどね。

無論いじめ経験者だった僕が言うのもなんだけど、いじめって分かっててやってると思うよ。

少なくともいじめられてる側にとっては記憶的に永遠に消えることがないんだからいじめという認識がないってカテゴリに当てはまらないのは分かるよね。

いじめ本質を論じてる人達は、あくまでいじめっ子本質を暴いてるだけであって、いじめられっ子本質を全く理解していないから

結果的いじめ本質というのが曲解されているものと僕を含むいじめられっ子は感じてしまうのかもしれない。

いじめ本質って何だろう?

もっといえば、自覚なきいじめってなんだろうね。

いじめっ子は確かに自覚ないかもしれない、記憶の片隅に置かれる事もないから成人になっても老いても後悔する事がない。

逆にいじめられっ子はそれを引きずったまま、殆ど場合引きこもりになって、ニートのまま老後を迎える事も珍しくない。

新卒一括採用という社会が構築された世の中では一度でも人生を踏み外すと元に戻れない状態になりやすい。

その意味では、いじめた事なんて忘却の彼方にあるいじめっ子は順調に人生を謳歌するけど、いじめられっ子はそのままドロップアウトするのが常だろう。

話は戻るけど、いじめ本質っていうのは、いじめという認識がない事だというけど、確かにそうだと思う。

前提があってこそだけど、そもそもいじめっ子にとって後悔する時間もなければ、それを諭してくれたり叱ってくれる大人がいないからそのまま成人してもいじめに対する認識理解しないまま、

いじめ本質っていうのはいじめの認識がないからだという誤った情報を、子供たちに発信しているからだと思ってる。

結局の所、いじめ本質認識がない事、と断じてしまう人が存在する事こそがその本質なんじゃないのかな。

すなわち、いじめ本質はそれを論じている事の矛盾にこそあるのだと思う。

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