普通に考えたらその手の認識がない事はいじめる側の見解であってもいじめられる側に則った趣旨でない事だけは確かだよね。
いじめって口の暴力だけでもいじめって認識があると思うんだけどね。
無論いじめ経験者だった僕が言うのもなんだけど、いじめって分かっててやってると思うよ。
少なくともいじめられてる側にとっては記憶的に永遠に消えることがないんだから、いじめという認識がないってカテゴリに当てはまらないのは分かるよね。
いじめの本質を論じてる人達は、あくまでいじめっ子の本質を暴いてるだけであって、いじめられっ子の本質を全く理解していないから、
結果的にいじめの本質というのが曲解されているものと僕を含むいじめられっ子は感じてしまうのかもしれない。
いじめっ子は確かに自覚ないかもしれない、記憶の片隅に置かれる事もないから成人になっても老いても後悔する事がない。
逆にいじめられっ子はそれを引きずったまま、殆どの場合引きこもりになって、ニートのまま老後を迎える事も珍しくない。
新卒一括採用という社会が構築された世の中では一度でも人生を踏み外すと元に戻れない状態になりやすい。
その意味では、いじめた事なんて忘却の彼方にあるいじめっ子は順調に人生を謳歌するけど、いじめられっ子はそのままドロップアウトするのが常だろう。
話は戻るけど、いじめの本質っていうのは、いじめという認識がない事だというけど、確かにそうだと思う。
前提があってこそだけど、そもそもいじめっ子にとって後悔する時間もなければ、それを諭してくれたり叱ってくれる大人がいないからそのまま成人してもいじめに対する認識を理解しないまま、
いじめの本質っていうのはいじめの認識がないからだという誤った情報を、子供たちに発信しているからだと思ってる。
いじめと毒親は似てるよね。 人間の狂気を抑える仕組み 1、戦前は差別、不自由等。 2、戦後まもなくは長兄的なひと。怖い先生等。 3、現在。何もない。 となっている。だから問...