2014-01-07

自分の話を他人に聞いてもらう」ということ



私の文章がつまらないのは、自分でもわかっていた。

わかるけれど、誰かから何かを言われないと、変わる事がむずかしい、と思った。

そう思ったから、ぼろくそに叩かれるのを覚悟の上で、ここに増田として書いてきた。

誰かを非難した文章を書いた覚えはないけれど、そう取られてしまったことがあった。

ろくに読みもしないで、叩いている人がいた。

正直、面白くなかったけれど、そんな事が続いていたある時、挑発釣りを文章に織り込んで、何かを書かないと誰も読んでくれない、ということに、遅まきながら気が付いた。

技術としての釣り、というようなものがある。

キャンペーンガールぬいぐるみなどの客寄せパンダのような、それ。

やりすぎると本末転倒になるけれど、何もしなくても、多くの人に読んでもらえる訳ではない私にとっては、たぶん身につけなくてはならない技術なのだろう。

ツイッターで誰かがいっていたけれど、「悪口や悪意をいうと、本音と思われる」というのがあった。

確かに、悪口をいうと、疑われにくい。少なくとも、悪意は。

けれど、それが本心なのかは、わからない。

それは、「少なくとも、こいつは本音を書いている」と、思わせるような技術かもしれないし、やっぱり本音かもしれない。

釣り」を本気でやろうと思ったら、頭が良くないとダメだ、と思った。

書いてあることを疑いすぎる人もいた。

ネットにあることを疑う事自体は、悪くないと思う。

ただ、その人のはてブを見ていると、疑いすぎて、身動きが取れなくなってきているような感じを受けた。

安全のための現状維持安全のための現状維持安全のための現状維持…… それがずっと続いていくと、どうなるのだろう?

安全場所からは出てこないけれど、安全場所がゆえに煮詰まってゆく。

彼らと比べると、そこそこ釣られている人達のほうが、楽しそうに見える。

話題によっては、無反応の記事もあった。

100のはてブがつけてもらえたとしても、真意をわかっていそうな人は、1人いれば、いいほうだった。

「何故わかってもらえないのだろう?」と、最初甘ったれた事を考えていたけれど、「100人いる中で、1人には、私の言いたいことがわかってもらえた」のだ。素晴らしい事だ。奇跡だ。

技術としての釣りの部分には、まったく触れず、核心のみだけにコメントしている人は、本当に少ない。

ネット自分の話を聞いてもらおう」と思っただけなのに、嫌な思いをした人は、私以外にもいると思う。

嫌な人が多くいる、とまではいわないが、そういう人は声だけはでかいから大勢いるように錯覚する。あれは不思議だね。

けれど、何の考えも努力もなしに、そういっているのなら、幼稚だとも思う。

もちろん、子供は別だけれど、ある程度の年齢なら、「こちらの話を相手にわかってもらおうと思ったら、段取り必要になる」という事を考えなくてはならない。

いや、これは、あなたにいっているわけではなくて、自分にいっているのだ。

もちろんこの文章にも、仕掛けがある。

大したものではないので、気がつく人は、すぐに気がつく。

仕掛けに気がつく人は多い。でも、真意には気がつくだろうか?

でもまあ、こういう内容の文章って、人気がないんだけどね。

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