それはネット上でのネトウヨとそれを批判する人間に関してです。
ネトウヨはただ面白半分に韓中を叩いている人間の集まりであるのはわかりやすいが、私が気になるのはそのネトウヨを叩いている人間である。
ネトウヨを叩いている人間に関しては同時に安倍首相や自民も批判していることが多い。
勿論ネトウヨや自民を批判すること自体はおかしな話ではなく、問題はその言葉遣い、批判の方向である。
尤も、言葉遣いに関して言えば相手を批判したいがために罵詈雑言をぶつけてしまうのはネトウヨと同レベルとはいえ理解ができる。
そこで気になってくるのは批判の方向である。
主にネトウヨや自民を批判する人間の大多数が韓国、中国の不祥事、事件に対しての反応が「擁護する」か「黙殺する」かのどちらかしかないということだ。
「擁護する」という場合は相応の根拠があり、それを知らない、あるいは「関係ない」人間が批判するのに不快感を覚えての行動だろう。
「黙殺する」に関しても大概はわざわざ批判する必要がないから批判しないということだろうと推測できる。
彼らは中国の人権問題になると、決まって彼らの圧倒的多数が「黙殺」をする。
彼らがネトウヨを批判する際に使う言葉の中によく「レイシスト」「人権」という言葉が出てくる。
なのに、なぜ人権が蹂躙されている中国人権問題に関してはほとんどの人間が口を閉ざしているのだろうか。
ただ、これに関しては外国のことはどうでもいい、よくわからないから国内の方が重要である、ということなのだろうか。
なぜなら、ネトウヨとは誰かを罵倒したい人間であり、そこに信念や信条は微塵もない。
そして、ネトウヨを口汚く批判する多くの人間が誰かを罵倒したい人間であり、そこに信念や信条は微塵もない。
叩く対象が韓国であるのか、もしくはネトウヨ、自民程度の違いであり、
もしくは擁護する対象が、日本、自民もしくは中国、韓国の違いでしかない。
そのようなネトウヨと変わらないただ、誰かを叩きたい声の大きい人間がリベラルや左翼と呼ばれ、真っ当な批判をしている者さえ色眼鏡で見られるという事態になるのだ。