「ナンパをしていて恥ずかしくないんですか?」といろんな人たちからよく聞かれる。その人たちの真意はよくわからないけど、俺は今でもものすごく恥ずかしい。性欲をもてあましながら、けれど全然もてあましていないフリをしながら、いろんな女の子に無節操に声をかける自分が。両親や親しい友人には見せれないな、と心から思う。
性欲をもてあまして声をかけているというと、女の子を性処理の道具のように捉えてるのかと誤解されやすいんだけど、そういうわけではない。どちらかというと俺が道具になっているかのような感覚。きちんとした恋愛における男女関係が、お互いに対等で、尊重しあって、気遣いあい、高めあっていくものだとするなら、ナンパにおける男女関係は圧倒的に片想いの関係に近い。男が女に奉仕し、女の存在を尊重し、気遣う。特に長期戦になってくればくるほど。俺はそういう過程を毎回毎回真剣にやってるだけ。毎回毎回違う発見がある。女の子はまさに人間そのものだよ。喜怒哀楽がちゃんとあって、羞恥心や嫉妬心があって、虚栄心があって、月経周期が乱れたりしてる。なんかうまいこと言えたな。
ナンパで女の子とセックスすることを「ゲットする」って言うけど、そういう言い方がナンパのイメージを悪くしてるかもしれない。「ゲットされる=何かを失う」みたいな解釈で、取り返しの付かない何かを男から奪われてしまった、みたいな。女の子はセックスに伴う様々なリスクが男に比べて圧倒的に多いのは事実だけど、個人的にはいわゆる一般的なセックスで女の子が失うものなんてないと思う。「男が何かをゲットした対価として女が何かを失うことはない」という意味で。男からするとやっぱり「何かを手に入れた」気になってしまうんだろうけど、俺自身はその何かとして「情報」のようなものをイメージしてる。つまり、一連の奉仕や、尊重や、気遣い等のコミュニケーションを通じて女の子の存在に関する情報を徐々にゲットしていくイメージ。その情報取得の手段の一つとしてのセックス。もちろんセックスしたからってその女の子の情報をすべて得られるわけではないんだけど、それでもセックスから得られる情報ってとてつもないんですよ。それが快感の一つの大きな要因になってるんじゃないかな、とか。