私は人見知りな気質である。ただし、一般的に言われている人見知りとは性質が異なるので、自分のこのちょっと変わった気質を何と表現するのが妥当かと考えた末、「遅効性(周期型)人見知り」という名前を付けることにした。
遅効性人見知りの気質を持つ人間は、初対面の相手にはなんの問題もなくコミュニケーションをとることができる。なぜなら初対面の人に対して何を話すべきかはある程度マニュアル化できるからだ。シミュレーションと実践を重ねれば、初対面の相手と滞り無く会話する型を修得することは比較的容易である。
しかし、ある程度(3〜4回)顔を合わせた相手になると、むしろ初対面の頃よりも会話が下手になる。対人関係というのは時間を重ねるほど会話の内容や関係性が多様化していくものだ。ある程度顔を合わせた相手に対しては、その時の状況を見て瞬時に判断する能力が必要である。それが私には難しいのでうまく会話を続けることができない。
話題が思いつかない、というだけであれば人見知りとはいえないかもしれない。私が自分の気質を人見知りとする理由は、話題が思いつかなくなるのと並行して、徐々に恥ずかしさが増していくのだ。きっと相手は、初対面の時に受け取った私の第一印象とは異なることに気づき始めている。初対面の頃に取り繕った印象と比して、実際にはさほど真面目ではないし、頭も良くないし、そんなに人付き合いが好きではない。そういう、人付き合いをうまくしていこうとして自然とついたウソがばれて失望されていくことを次第に恐れていくのである。
上のような気質を持つため、私と会う人は初対面の時は人付き合いが好きそうに見えるのに、時間が立つにつれてやけに緊張して対応されてしまうということになる。本来は顔を合わせることが多ければ多いほど親しい会話ができるようになるはずだが、そうならないので変な人とみられるようになる。これが遅効性人見知りと名づけた理由である。
実はこの現象は何年も付き合いのある友人との間でも周期的に起こることであり、その周期にいたるとよく知っている相手でも、本当に伝えたい感情を伝えることが難しくなる。そういうときは言いたいことを言えと突っ込まれる。
考えるに遅効性人見知りというよくわからない気質を持つようになったのは、本来は人見知りな正確なのに応急処置的な対策をとることに集中してしまったためにこじれてしまったのではないだろうか。
本当はもっと本質的な、人と親しい気持ちになるような感情をどう出していくか、どうしたら自己肯定感を保ちながらコミュニケーションをとれるかを考えていくべきだったんだろう。
しかしながら、私はある程度生活や仕事に支障がないようにする「応急処置」に依存することで生きてきたので、本質的な問題を解決する機会が与えられずにいる。
さしせまった悩みでもないので、本来は日記にでも書いておくような内容なのだが、他にこういう人はいるのだろうか、自分が勝手につけた名称以外にもっと的確に悩みを言い表す表現がないのか等、増田たちに聞いてみたいと思ったので投稿してみた。
自分もそんな感じ。 原因は自己肯定感の欠如だと思ってる。 応急措置としては散髪をしたり、新しい服を着たりすると少し改善される。
増田は日記だよ! 勘違いしないように