2013-07-17

場合と状況の把握について

最近か少し前に良く体罰だの教職員による暴力だのでニュースになっているのを見かける.

大抵のニュースで取り上げられるのは過度な教育によって起きる暴力での指導だったと思う.

このニュースを見た人達情報を得た人達は"暴力で解決しようとするのはよくない"といった意見が多く、たまに"教育から仕方がない"といった意見もチラホラ見かける.

後者はたいていそういった教育を受けてきた人達が多いのでは無いだろうか.私は力で解決するような教育を受けたことがないので予想でしかないが.

そして最近では親の過保護(上記の場合は除く)もあり教育現場ではあまり力を行使するような場面も多くなってきた.

しかしこの状況にも私は疑問がある.

私は必要な状況ならば暴力というか力を行使した教育を容認すべきだと思っている.

何故なら最近の若者(という表現微妙だが) はあまりにも態度が酷い. 昔なら授業中に寝ていたら頭を叩かれたり、悪いことをしたならば悪くて殴られたりというのもあった.

さすがに殴るのは度が過ぎてると思うが、注意するだけでは無意味であると感じられる.

もちろん授業中に寝るなど言語道断行為だ. 指導者に対してはあまりにも失礼極まりない態度だ.①

これらを口で注意したところで無駄場合が多い.②

悪いことをしたら悪いということを身にしみて感じさせるのにはある程度の力は容認されるべきだと思っている.

またこれらの報道を通じて生徒は教員に対して力の及ばないものだということが小学生にも理解できる.

そして態度の悪い奴は教員に対して舐めた態度をとる. 最悪注意などでは意味ない状況もある.

これらのことから私は必要な状況ならば多少の教育に力が介入することを容認すべきだと思う.

しかしこの考えには幾つかの問題点がある.

① 授業中に寝る行為について

授業中に寝る行為はよろしいとは言えない態度である.しかし家庭環境によっては授業を受ける間に寝るしかないという子供が居る可能性がある.

このような状況の場合で力が介入することはあまり良いとは言えないだろう. ③

②口頭での注意について

口頭で注意することが無駄場合とは比較的簡単な問題だ.まず口頭だけで注意する.そうすれば力を行使すべき人の区別ができる.口で言えばわかる人は口頭だけで済むだろう.

それでも悪い行為を続けるのならば力を行使すべきであると思う.

③人によって行使すべきか否かによる差別

人は自分が悪い状況に置かれた場合しばし差別だという事を言及する.これは厄介なのは親の介入だ.

悪いことをしたならばそれ相応の見返りが必要であるというのに対して子供が傷つけられたと感じる親はいまどきほぼ全員だろう.

しかし親以外の人から怒られるというのはそれもまた非常に良い経験であると思う. それは口だけで叱責されるものとは別のものである点にも.

結論から言うと、私は力の介入した教育場合によっては必要であると思っている.

しかし文頭に例示したニュース等を見ているとあまり教員教育を任せることは些か不安であるようにも感じられる.

また必要な状況と場合を判断できない可能性も考えられる.そういう場合は極力手を出さずに口だけで叱責した方が下手な問題を起こさずにすむだろう.

非常に難しい問題であるとは思う.

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