自覚はないのに「言い方がキツイ」「上から目線」と言われる原因と対策について考えてみた - Togetter
これ読んで、自分の両親を思い出した。
子供心にほんとに気分悪かったのを今でも覚えてる。
具体的にどういうケースだったかの説明↓。
共働きの両親が小学校から帰った子供(これを書いてる人間)のために早く帰る曜日を決めてたんだけど、母親がときどきやむを得ず忙しくて帰れないときがあった。
それに対して父親が「こういう取り決めをしてただろ。なんで早く帰ってこないんだ」って母親を責め立てるのよ。
で、母親は反論できずに唇噛んで目に涙浮かべてるのね。正論だから。そういう取り決めを確かにしたから。
もちろん父親はそういう母親を責められるくらいにはその取り決めを守ってたんだけども。
でも子供としては、別に早く帰ってきてもらいたいなんて思ってなかったのよ。
自由な時間(TVみたりこっそりゲームしたり)が短くなるだけだからね。
むしろ、そうやって両親が喧嘩するのを目の前で見せられるほうが嫌だった。
だから、そういった喧嘩を何度も見た末に、意を決して言ったことがあった。「僕は親が早く帰ってくることよりも、喧嘩しないで仲良くしてもらっているほうがいい」って。
でもそれを聞かないんだよね、父親は。そういう問題じゃないんだってさ。完全にエゴだよ。
完璧主義で自分の正義が絶対だから、本当に必要とされていることに気づかずに(気づかない振りをして)、我を通すことだけに終始する。
ある意味では「強い」人間といえるのかもしれない。正しさを理解し、受け止め、実行できる強さを持つような人間。あと単純に頭の回転が早いとかもあるのかも。
でもこの例みたいに、自分の正しさとか強さの範疇ではないところに本当の「正しさ」があることもあるんだよ。その可能性を考える余裕を持ってほしい。
あと、相手がコンピュータなら正しさだけで十分なレスポンスが得られるけど、そうじゃないんだよ。人間なんだよ。
相手が受け入れることができる(周り一般から見ても気分を害さない)ようにオブラートに包んで言うなり、直接的じゃなくて間接的に言うなりの気遣いをするのが人間のコミュニケーションっていうもんじゃないのかな。
だから、「強い」人にお願いしたいことは、本当に「正しい」のかという疑問を持つことと、相手によって伝え方も考えるべきということ。
正しさだけで世の中がうまく回るなら誰も苦労しないってことの意味をもう一度考えてほしい。
「強い」人間の論理だけでは、「弱い」人間もたくさんいる世界で違和感を覚えるのも当然なんだよ。
今、この場、このメンツで、何が本当に「正しい」ことなのかっていうことと、それをどう伝えるのが「正しい」のかっていうことは、たぶん「強い」あなたが思う以上に、慎重に吟味されるべきなんだと思う。
相手を変えようとするんじゃなくて、自分が変わるのが一番早いというヤツ。
お互いに歩み寄ることがもちろん一番大事だし、ベストだとは思うんだけど、歩み寄りへの最初の一歩は、踏み出す余裕がある方(今回でいう「強い」人間)から始めてみたらどうかな。
ヲチに悩む増田の「うまくやる」の意味がわかる。 「人間関係において「借り」をつくることに、根深い恐怖心」もすごくわかるわw幼少期にいろいろありそうですね。 ヲチに悩む増...
「『嫌い』で『ヲチ』の心理」を書いた増田です。 情報ありがとうございました。