少なくとも本は誰かに何かを伝えるために書かれるし、そうじゃない本はほとんど出版されないんだよ。
著者は誰かに何かを伝えることを期待して書くし、読者はそれを受け取ることを期待して読む。
読者から当然意見は届くし、読者が増えたり減ったりするだけでも、著者は色々考えて次の作品を書く。
俺はここにきっちり双方向のコミュニケーションが成立してると思う。
まず、お前は本が誰かに伝えたいという「何か」が「俺理論」であって悪い理由を何一つ書いていない。
その点でこの例では出版行為は立派に露出狂の例えに合致してしまう。相違点としては見せられた女子高生がキャーキャー言って喜んで「もっと見せて欲しい」とせがんでいるというところくらいか。
更に言えば、お前は「好きな作家」の本を買い支えるというがそれは好きなオナホを作ってる会社の商品を買って売り上げに貢献する行為と何ら変わらない。「新作は使用感が良かったです。もっとキモチイイのを作って下さい」とアンケートはがきを出すのと変わりはない。
それに応じて会社が新製品の路線を変えて打ち出すのは確かにコミュニケーションだろうがそれは使用者のオナホに対する態度が自慰であることを全く覆さない。
お前は反論してるつもりかもしれないが自分で出版がオナニーだという仮定を立ててなおかつそれを自分で擁護している。
馬鹿ここに極まれり、だ。
俺は単に、双方向的なコミュニケーションにおいて俺理論を開陳すると、詳細について説明したりツッコミに反論したりといったやり取りの中でゆがんだり変わったり発展したりと様々な方向に変質する可能性が圧倒的に高いので、自分で本を書いた方が邪魔が入らないという程度の意味で書いたのに。
それは女子高生の悲鳴がもたらす快感とすっきり感であったり警察のパトライトがもたらすスリルと緊張であったりはするだろうが、たくましい兄貴がヨダレたらして飛びかかってきて公園のトイレでアレコレであるということはまずないと考えられる。逆にそういう「リアクション」を期待しているなら女子高生の前で御開帳はしない。
つまりその「リアクション」への期待は非常に限定的であり、自慰においてオナホがもたらす「使用感」への期待と何ら異なるところは無い。よってそれはセックス或いはコミュニケーションにおけるリアクションとは別物。
相手のリアクションがあるだけでセックスなら、露出狂が性器を女子高生に晒すのだってセックスになっちまうじゃねーか。 そもそもお前がなんでそんなにコミュニケーションを性行為...
露出狂が女子高生に性器を晒すということが読書・ネット・或いはその他のどの行為の比喩なのか明確にしてから例に出したまえ。論破したいキモチはとてもよく伝わってくるが話がぶ...
いや、俺はただ午前中にやる仕事が終わってて暇だからお前のオナニーにおひねり投げてるだけだよ。 露出狂が女子高生に性器を晒すのはどう読んでもネットに俺理論を書き込むこと...
露出狂が女子高生に性器を晒すのはどう読んでもネットに俺理論を書き込むことだろ。俺は女子高生じゃねーけど。この流れでそれ以外の文脈はありえないよ。 根拠を聞いているんだ...
(俺理論を開陳するのに最も最適な場所は本だ) 出版までオナニーだって言いたいのか? 少なくとも本は誰かに何かを伝えるために書かれるし、 そうじゃない本はほとんど出版され...
少なくとも本は誰かに何かを伝えるために書かれるし、そうじゃない本はほとんど出版されないんだよ。 著者は誰かに何かを伝えることを期待して書くし、読者はそれを受け取ること...
すまない、俺ももっと遊んでいたいんだが、もう時間が無い。 お前の理論は完璧だ。俺には突き崩せそうにない。 だがこれだけは言わせてくれ。 お前の理屈に俺以外誰も反応してい...
お前の理屈に俺以外誰も反応していない。お前の書き込みは誰かを気持ちよくしてもいない。 お前の書き込みに感銘を受けるヤツもいない。 これこそがオナニーだと俺は思うんだ。 ...
それは俺の書き込みもオナニーだからさ。
そしてこうして応答が続く以上、一連のやりとりは全てセックスとなり公開オカズと化す。 おおきもちわるっ。