切込さんと水野ひばりさんのツイッター上のやりとりをみて、大昔の「意味論」の教科書に載ってたこんな逸話を思いだした。
昔、アメリカの南部を旅していた黒人の若者が、旅の途中、とある白人の家でとても親切にしてもらった。若者はすごく感謝したが、ただ一つ問題があった。
その白人の家の主人が、若者のことをしきりにNiggerと呼ぶのだ。仕方なく若者は言った。
若「すみませんが、私をNiggerと呼ぶのはやめて貰えませんか?」
主人は驚いた顔で若者に答えた。
主「なぜ?だってきみはNiggerだろう?」
のちに若者は語った。
若「そう言われて、私は何も言えませんでした。私はなんと答えればよかったのでしょう?」
(出典は確かS.I.ハヤカワ「思考と行動における言語」)
切込さんは、経済問題とかにはずいぶん鋭いのかもしれないが、人権問題には全く知識がないようなので、水野さんと全く話がかみあってない。上の話の白人の主人状態。水野さんもひどい消耗戦を強いられていて気の毒である。
1 ツィッターで議論は不可能。特に双方の前提が一致しておらず、そのすりあわせから入る必要があるような場合においては、すれ違いしか生まず、最終的にはどちらかが相手の言葉を侮辱と捉える結果になり、最終的に罵倒ツールと化す。結局、ツィッターで「交流」できるのは、「同質」の人同士に限られるということ。
2 人権問題には「頭の良さ」や現在における「常識」等では切り込めない部分があり、やはり豊かな人権感覚をもつには「学習」が必要であるということ。ただ、現行の人権学習プログラムは、その責をほとんど果たせていないと思う。
3 この問題に限らず、自分が「多数者」の側にいるという認識のある人間は、「少数者」が口を開いたとき、そこには少数『でありながらあえて』口を開いた、という前提があることを忘れるべきではないこと。「多数者」同士で安易に言われる「考えすぎじゃねーの」とか「被害妄想乙」とかいった批評は、想像以上に失礼であり、二重三重に相手を傷つける可能性があることを自覚しておくべきこと。
お前の言う「豊かな人権感覚」というのは、ごくわずかでも「その用語は差別だ!」という人間が発生する用語を可能な限り知識として持ち、一切使わない人のことか。 それを言葉狩り...
申し訳ないが、「性的少数者」を「ホモ」と呼ぶことで傷つく人の数は「ごくわずか」ではない。俗に、同性愛者は人口の1%はいると言われている。その人々の中で、「ホモ」と呼ば...
申し訳ないが、「アニメ・マンガ好き」を「おたく」と呼ぶことで傷つく人の数は「ごくわずか」ではない。俗に、アニメ・マンガ好きは人口の10%はいると言われている。その人々の中...
ダメな論理展開のお手本みたいだ
やっぱりと思ったが、こういう人は「子供」のことを「子ども」と書くんだよね。 子供と書かれて傷つくこどもなんていないし、そもそも「子ども」という表記の方がおかしいのに。 ...
俺は全く別の理由で「子ども」って書くよ。それが一番見やすいと思うから。 今使った「見やすい」は「見易い」とも書けるけど、そう書かないのと同じ理由で。 「子ども」って書いた...
申し訳ないが、「性奴隷」を「慰安婦」と呼ぶことで傷つく人の数は「ごくわずか」ではない。俗に、二次大戦次の朝鮮人性奴隷は840万人はいると言われている。その人々とその子孫の...
韓国人って人口何千万人いましたっけ?
発狂するいつもの光景
申し訳ないが、「性交未経験男性」を「童貞」と呼ぶことで傷つく人の数は「ごくわずか」ではない。俗に、性交未経験男性は人口の20%はいると言われている。その人々の中で、「童貞...
日本の人口はいつから2億になったんだと野暮な突っ込み