2011-10-11

題名は「自由崇拝教徒の憂鬱」にするつもりだった

学寮の自由作文を頼まれると、自称読書家で元ブロガーは平気で制限を超える。

ものを書いたのは久々だが、気持ちよく書けたので記念に投稿してみる。

なお全てはフィクションであr(ry


 自由作文は難しい。大喜利なら書けることとウケること、この2つを考えればいい。しかし自由が与えられると、「自」も出る。自分しかなしえない体験を、優越感たっぷりに書こうとする。書きたいこと、書けること、ウケること。これらをどう調和させるのか、ジレンマ生まれる。やがて面倒になる。白紙ができる。

 自由はもてはやされる。マンガ小説ドラマ物語は自由を求める。現実も変わらない。12時消灯より無消灯、時間帯の定まった食事より、各々の食事時間。自由最高。と、まあ例を挙げればキリがない。しかしそれは一面に過ぎない。

 職業の話をしよう。英語には「職業」を表す"vocation"という単語がある。「これが、あなたが生まれてきて行うべき職業(使命)です」と神が呼びかけたから、との語源だ。なるほど「呼ぶ」のvocareと似るわけだ。だが今の日本に、神は声を残さない。かわりにわたしたちが声を上げる。わたしたちは自らの有用性を社会企業へ訴えかける。これが使命と感じた、とうそぶいたりする。社会企業はそんな中から、選んだり、選ばなかったりする。勤労に義務はあるが、雇用にはそれがない。訴えるのは、全て自由だ。それに生じたもの、全てに責任だ。痛い目を見ても、そう、自分のせいだ。神の職務怠慢は、弱い人を苦しめる。自由は恐ろしい。

 それでも全ては戯言だ。環境に適合できない生物は、絶滅する。そうやって今までご先祖様は勝ち抜いてきたのだし、そしてこれからもそうなるのだろう。

 と、わたしが強者なら、こう断言しただろう。何が言いたいのかというと、

職が欲しい。

去年でさえ就職率100%なのにおかしい、とか思ったろ!?

来年就職率を楽しみに待ってるんだな……

……泣きたい

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