2011-09-18

すみません」ではなく「ありがとう」が言える社会


すみません」という言葉にずっと違和感を感じていた。

仕事でも日常でもテレビの中でもどこにでも「すみません」が先にあって、

そんなに他人に謝らないと回らない社会なのか!?

と思わずにいられない。そしてそもそもそんなに他人に謝罪を表明する必要性そのものに疑問を感じる。

疑問というか、不健全さといったほうが近い。

例えば、仕事メールの中身もそうだ。

「お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」

「この度はお手数おかけして、大変申し訳ありませんでした」

すみませんじゃないけど、どうも謝罪ワードで締めくくられる。

これが「お忙しいところありがとうございました! 大変助かりました」

ではダメだろうか? と思うのだ。

こう言われたほうが、嬉しくないだろうか?

実際、俺はありがとうと言われたほうがうれしい。

やっぱり「ありがとう」のが嬉しい

電車で、ベビーカーの乗り降りを手伝うとき

「どうもすみません

と言われるよりも

「助かりました、ありがとうございます

と言われたほうが、やっぱり嬉しい。

どうもすみません、て言われるともしかしたら自分一人でできたのかな?

のしたことは余計だったかな? なんて気持ちも湧いてしまう。

……この違いって何だんだろうか?

すみませんは、自分能力/配慮不足を暗黙に認めている言葉なのではないか

そしてそれらの不足を補ってくれた誰かに対してお詫びを表明している、

から言った方も言われた方もすっきりしないのだろうと思うのだ。

例えばベビーカーだったら、

(一人でベビーカーの乗り入れができなくて申し訳ない)

(もっと器用だったら一人で乗せられるかもしれのに)

通勤時間にこんな邪魔ベビーカーを乗せてごめんなさい)

とこんな具合だ。「すみません」ということで、暗黙のうちに自分の不出来さと

相手に迷惑をかけたことを詫びているのだ。

でもさ、一人でできないことなんてたくさんあるじゃん

それなのに常に「すみません」が先行する社会って肩がこらないだろうか?

完璧にこなす人間なんてごくわずかだし、そういう人を基準に社会が作られても

みんながみんな「すみません」の旗のもと、疲弊するだけだ。

すみません」は個人が完璧であることを前提に使われる言葉という感じがしないかな?

あなたはそういう社会暮らしたいだろうか?)

けれど「ありがとう」が先行する社会ならばどうだろうか?

ありがとうという言葉が暗黙のうちに示している空気はどんなものだろうか?

あなたの配慮に感謝します)

あなたは優しい人ですね)

あなたの行動は感謝に値するすばらしいものです

と、こんな具合にポジティブで助けれてくれた相手を認めてくれている雰囲気を感じる。

から「ありがとう」って言われるを気持ちが良いのだと思う(NHK的な表現だが)

すみません」に比べると、言った方の能力/配慮不足をあまり気にしていないというか

それらの不足を前提にしない言葉の使われ方に思える。

こっちのほうが神経すり減らない気がする。

他にも「すみません」に似た言葉がいくつかある。

(1)ググれ

(人に聞く前に最低限の努力をしたのか!?

ネットを調べればわかるのに…… 情弱だなあ)

(2)よく読んでください

(説明文を隅から隅まで読めばわかるでしょ!?

(いちいち人に聞かないでよ)

(文章読んで自分で判断してよ)

すみません」とは言われる状況や方向が違うけど、

弱っている相手に配慮を求める点では非常に似ていると思う。

いや、いちいち他人に頼る人がめんど臭いのはわかるよ!

でも他人を助ける時間もないような社会っていかにも陰鬱だし

そういった空気は巡り巡って自分のところにきっと帰ってくる。

だってそういうのが「社会」なんだから

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん