2011-02-06

シンガポールに住むようになって変わった「国」についての考え方

僕は2009年シンガポールに移住し、現地の企業で働いている

この2年間の間で、自分自身に起こった変化について書きたいと思う

僕が20歳頃までは、自分を取り囲むものが

自分 < 家族 < 友人 < 地域社会 <国 < アジア < 世界

たい自分を中心とした重層的な構造だったのが

今では

自分 < 家族 < 友人 < あとはmixiTwitterFacebookにお任せ

たいな感じになってきてるのを感じる

なんせ自分の住んでいる場所が海外なので、

生まれ育った地域社会愛着を持とうとしても遠すぎるし

もちろん地元には家族友達がいるし懐かしい思い出もたくさんあるけど

実際問題、今自分がお世話になってるのはシンガポールという国だし

どっちが大切?と言われたらどっちも重要しか言いようがない

日本という国が「自分を育んでくれたもの」「守るべきもの」

自分を守ってくれるもの」というカッチリした定義のあるものから

「人が礼儀しい」「食事が美味しい」「四季折々楽しい」「女の子かわいい

たいな、単なる属性の集合体になりつつあるのを感じる

そしてそこには「義理人情」「御恩と奉公」的価値観存在しない

家族日本にいるけど、僕はシンガポールに住んでるし

特にアジア各国に関してはどこの国にもけっこう友達が住んでるし

普段連絡とるのも、数人の仲いい日本人以外は外国人だし

その友達の国との間に戦争とかされた日には大迷惑である

勘弁して欲しい

「国」なんて所詮、「領土」と「領海」と「領空」に

「ヒト・モノ・カネ・ブランド」の上物が載っかっただけのもので

もちろん日本人であることに相応の自負と愛着はあるけれど

かといって国のために命を投げ出すような覚悟は一切無いし

例えば日本が戦場になったら、僕は家族全員シンガポールに連れてくる

海外で生活を始めると

日本で生まれ育った自分」という側面と

日本以外で生活し、給料をもらい、納税している自分」という側面

この2つが分離するので、混乱が生まれる

そしてこの分裂した自分自身を日々御しながら

「どっちも健やかであってほしい」と願うようになるのは

極々自然な考え方の道筋であるように思う

からこそ、今のようなどんどん自由になり相互依存が強まる世界の中で

自分が生きられているというのは本当に幸せなことだと思う

Kei as a thorough cosmopolitan and Libertarian

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