2022-07-15

大手メディア、リチャード・J・サミュエルズ氏を取材しろ

こういうことを書いている本の著者らしいです

笹川良一反共主義は、保守政治とうまく結びついていた。笹川は、岸信介と協力して、アジア各地の反共産主義者との関係を深めていった。この活動により、1960年代半ばに統一教会創始者である文鮮明接触することになる。1967年笹川山梨にあるモーターボート競艇場での日本初の集会統一教会を招いた。翌年、文氏が韓国で「共産主義勝利連合」を設立した3ヵ月後、笹川日本での名誉会長就任した。岸は感心した。「若い人たちがみんな共産主義勝利連合のような人たちだったら、日本未来は明るいのに」と岸は感心した。笹川と岸は、後に現代日本で最も忌み嫌われることになる団体庇護した。

統一教会は、日本若者誘拐マインド・コントロール疑惑で嫌われていたが、多くの日本政治家にとって計り知れない利益をもたらすことが証明された(そして今も証明されているかもしれない)。統一教会日本本部は、かつて岸信介が所有していた東京土地に建てられた。1970年代初頭には、ムーニーと呼ばれる教会員が、自民党政治家のために、勤勉で非常に価値のある選挙運動員として無償奉仕していた。ムーニーは長年にわたり、しばしば詐欺的で攻撃的な販売改宗戦術によって、訴追から保護されてきた。1980年代までに、日本世界統一教会収入の5分の4を提供したと伝えられている。

岸・笹川と文のつながりは、岸派と連合派を通じて拡大した。岸派直系の福田赳夫1974年文鮮明を「アジアの偉大な指導者の一人」と称え、岸内閣の最年少閣僚連合の公野党の子である中曽根康弘も同様に文鮮明を称えている。岸内閣の娘婿である安倍晋太郎も、選挙戦ムーニーを利用した。日本共産党が作成した自民党民主党の126人の政治家のリストには、小沢一郎橋本龍太郎、その他の党の幹部が含まれていた。1990年総選挙では、百人以上の国会議員が「共産主義勝利するための連合会」から支援を受けたようである。文氏の影響力は、1992年入国特別許可に表れている。日本法律では、1年以上服役した外国人入国できない。しかし、1992年3月自民党の最大派閥トップである金丸信総裁法務大臣に取り次ぎ、入国許可された。

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ttps://twitter.com/sfujihira/status/1546464449845936128

日本語版にはどう書かれているんだろう

ttps://www.amazon.co.jp/dp/4492211675

この経歴なら信ぴょう性あるだろ

リチャード・J・サミュエルズ(Richard J. Samuels、1951年11月2日 - )は、アメリカ合衆国政治学者、マサチューセッツ工科大学政治学部教授。専門は、日本政治経済安全保障政策

1973年コルゲート大学政治学科卒業1974年タフツ大学政治学部大学修士課程修了、1980年マサチューセッツ工科大学政治学部大学博士課程修了、Ph.D.政治学)。マサチューセッツ工科大学助教授(1980-84年)、准教授1984-90年)を経て、現職。

1992年から1995年まで同大政治部長を務めた、2001年から2008年まで日米友好基金理事長

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