細々生活してた(けど仕事はしてなかった)40代のおっさんが「なんか尻が痛い」って言い始めた
何言ってんだこいつと思って、病院行ってどうぞと返してたんだけど、中々病院に行かない
そういう人は多いって言うかほとんどなので、痛いって言われるたびに、はよ病院行けっていってたんだけど、
「俺、がんじゃねぇかな」って言いだした
そういうこと言う人も多いので、だったら益々早くいかなきゃですねと返してたんだけど、
まあ結局その人は末期がんだった
ヘルパー手配したり、病院行くためのタクシーも介護タクシーじゃないとダメだったり
あっという間にげっそりしていったけど、そのおっさんは先生や周りの人の言うことをうんうん聞きながら毎日頑張って生活してた
偶に「やっぱこえーな」「つらい」とか、愚痴言いに痛いケツ抱えてわざわざ事務所来てたりしてたけど、そうだよなあってただ聞いてた
連絡取れる親せきはいるって聞いてたけど、「なんか言いづれぇしな」って話はしてなかったらしい
4ヶ月くらいで亡くなったんだけど、部屋の片づけしに保証会社の人と部屋入ったら、部屋の中には何もなくて、
寂しい部屋だなあという感じ
そう簡単に撤去費用出すと思ったら大間違いなんだよな こちとら貴重な税金だぞ
それは余談として、ここからが生保の醍醐味って言うか、そう遺骨問題
連絡先が分かる親戚に電話するも、みんな「他のきょうだいに聞いてくれ」だの「縁が薄い」だの
告知を一緒に受け止めるのも相談効くのも愚痴を聞くのも環境整えるのも葬儀調整するのもこっちがやったつーのに、
遺骨の受け取りだけもしないのってどういうこと?????
いっそ家の前に置いて行ってやろうかとも思ったけど、最終的には無縁仏に入りました
無縁じゃないのになんで無縁仏に入んなきゃいけないんだろうなあ
この結論が出るまで3ヶ月くらいかかって、その間遺骨は私の机の中に入ってました
連絡取れる全員に、無縁仏で文句言いません誓約書を取るのが大変だった
この人の人生って何だったんだろうなあと思ったケース
【追記】
【7/13追記】
生保=生活保護って自分の中で当たり前だったから、生命保険外交員って思いつかなかった・・・生活保護のケースワーカーやってた時の話です。
他の自治体がどうかはしらないけど、うちは無縁仏って最終手段で、基本なんとかして親族に引き取ってもらう方針だったので、無縁仏の結論出すにはめちゃくちゃ時間かかるって事情はあります
無縁仏自体が場所がパンパンで入らないので・・・世知辛い・・・
という事情はあるにしても、おっさんからきょうだいとの話も聞いてたので、個人的に単純に骨になった後の眠る場所すら孤独なのはさみしいなあって思った話
まあ所詮おっさんがわの気持ちなので、きょうだいとしては色んな確執があったのかもしれないけど
今思えばおっさんと話しとけばよかったって思うけど、がんばって闘病してるおっさんに「死んだら骨どうしたい?」とはその当時の自分の人生経験レベルでは聞けなかったかも
悲しいけどそれもまた人生 貴方の仕事は尊いよ
おっさんは良く生きたし増田は偉い
こういう人が精神すり減らしておっさんの処分につきあってんの辛いよなあ。 もっとかんたんにマイナンバーカードかなんかでピッとおっさんを抹消の行政処理ができるようになってほ...