リベラルとは人間皆平等、人間皆自由、それが無理でも人間の最低値としての人権の保障
でもこれって実行力ないと無理。その実行力は現在警察と自衛隊含む行政が行ってる。要するに国。国の実行力に限界がある以上リベラルには取りこぼしが絶対に出る。
この取りこぼしはまずより人間じゃない人達からになるのが道理。え?人間皆平等、人間皆自由、それが無理でも人間の最低値としての人権の保障はどこ行ったって?そりゃ理想だな。出来ねえもんは出来ねえ。
現状日本では
・日本国の認めた日本人である(日本が日本人の税金と労働で成立している以上、この条件を外せない)
・日本国の認めた外国人である(外国人は日本への貢献をしているとは言い切れないが、国対国の付き合いを考えると他国の国民を人間扱いしないわけにはいかない)
これさえ満たしてれば人間
社会福祉とか年金とか考えると労働すらしなくても日本人と認められるのは甘々と言える。
女の胎から出てきているも地味に重要。出て来ていないのにも認めると中絶が殺人なので禁止になり、不運にも使われなかった卵子精子にも認めると初潮精通来る前に結婚して避妊が殺人なので禁止の世界になる。人間の誕生を決めるのは神の祝福のみ。ヤバ目な原理主義者が言ってるような事が一番人間範囲が広いのは驚き。ちなイスラムは中絶OKらしい。天才が啓示を受けた最新宗教だけある
さて今度はもっともリベラルに必要な人間とは誰なのかという話をする。
国がより多くの人間に人権を保障しているほど、また人権を持つ人がより多いほど人権の総量はより多くなる。
それはより国へ貢献している人間。そして人間を生産している人間となる。
こいつ保守の話してね?って思った方その通り。
リベラルのガソリンは保守。限界を作ってる人間は保守。より保守な人間の活躍でリベラルの限界が決められてる。
ワイは借金玉(ワイは借金玉のファンボである。精神状態ヤバそうなときにミュートするのが楽しむコツだ)のリベラルとはやせ我慢と根性みたいな言葉が大好きだ。
植松にも植松に殺された人たちにも歯を食いしばって人権を主張するのがリベラルというものだ。それが出来るのは保守だ。真にリベラルな人間はリベラルな保守か保守なリベラルの中にいる。