2020-04-02

コロナがもたらす教訓2つ

コロナがもたらす教訓2つ

コロナウイルスによって欧州アメリカ被害者が多いようだ。

まず感染した患者治癒祈り被害者への追悼をささげたいと思う。

ところで、コロナウイルスはなぜ発生したのか?

と考えるとき、やれ陰謀だ、やれ責任はどこにある、という風に、

特定の国を政治的糾弾するのは、もはや無意味だと考えるようになった。

すでに人類共通の難題であるのは明白だからだ。

かに初期対応の件を含め、

世界中人間の怒りが中国に向かっているというのもわかる。

だがそれはもはやどうでもいいことだ。

原因はともかく、その原因に至らせた何か大きな意志があったはずである

そこに注目したいと思っている。

1.人間自然コントロールできない

コロナ」という名前を聞いて、「そういえば太陽の外側の熱いところがコロナって名前だったな」と思い出した。

コロナウイルスの外側のトゲトゲの部分に該当する。

ふと、なにか共通性を見出した。

YouTubeで「太陽が突然消えたらどうなるのか」という動画を見た。

https://www.youtube.com/watch?v=KM1NxPNp6sU

これによると、数日で地球の気温は一気に低下し、

地熱のある暖かい地域を求めて人間殺到し、人間社会崩壊するようだ。

ふだん、我々は「日光はあって当たり前」「水はあって当たり前」

空気はあって当たり前」「大地はあって当たり前」と思っている。

だが、そのバランスは、太陽地球距離をはじめとした奇跡的な成り立ちによって

ぎりぎり保たれているのである

我々はそのおこぼれに預かっているにすぎない。

今回のコロナウイルスの件は、いか人間が弱い存在かを知らしめるために、つかわされたものではないだろうか。

ちなみに、太陽表面は6000度だが、コロナが100万度まで上昇する仕組みはわかっていない。

いうまでもなく、我々はその強力な熱の恩恵生活ができている。

2.コロナの前では、国・宗教思想対立はもはや無意味である

もしあなたの自宅近辺が崩壊して、みんなで避難しようというとき

「隣の家のとは長年ケンカしてるから」などといっていたら、そのまま二人とも逃げ遅れてしまうかもしれない。

そういえば、「地獄では、とてつもなく長い箸を与えられる」という話をご存じだろうか。

メートルもあるような箸では、自分料理を口に運ぶことができない。

鍋を囲んだもの同士で、お互いに箸で食物を運んであげる必要があるというわけだ。

地獄では、自分がどうやって食べるかしか考えることができないようになっているため、

どうしても食べ物にありつくことができない。自己中心的人生を送った人間が、その席に集まるのだという。

これは面白い示唆ではないだろうか。

コロナ騒動は、そんなことを教えてくれている気がする。

1.自然の前には人間の力はちっぽけなものである科学の力で地球コントロールできると思う、傲慢さに対する罰ではないか

2.本気で自然がブチ切れたら、もはや個人利益追求や、ひいては国家宗教のあらそいなど無意味であることを知るだろう。

人類はこの教訓から学び、国やイデオロギーといった分離・制約を超えて、ひとつ抜け出した発想をする必要がある。

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