2019-06-14

世帯年収千万の家の大学生は多分自分金持ちだなんて思わない

最近年収千万金持ちだというようなツイートがバズっていた

年収千万は上位10%だから金持ちだという考え方だった

かに金持ちというもの定義人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない

だけどその定義の仕方はあまりにも安直だし、実感がない

金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるから

ところで私は親の年収というもの大学生になって初めて知った

共働き一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった

塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立受験した

そんな両親の年収手取り千万を超えていた

都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分金持ちなんて考えたこともなかった

なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった

一つ目は、中学から受験をし高校偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ

ヤンキーばかりの地元中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった

そして、その中学友達はみんな私より頭が良くて東京私立高校入学していった

高校友達海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた

これが私にとっての普通大学地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界

二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ

両親の勤務先は今でも年功序列が根強い

から、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる

また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった

そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった

まり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ

そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている

そして今もその頃と生活は大して変わっていない

ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分お金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ

兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ

収入格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない

そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない

手取り千万生活費とローンを差し引いて後は全て貯蓄に回されるだろう

この先の長い両親の老後のために我々は二千万円を貯めなければならないのだから

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