2018-04-07

「産めない男」の代替行為

ふと思ったことをダラダラ書いた駄文であるから

もし読む人がいるとしたらそういうつもりで読んでいただきたい。

あと多分だけど妊娠中の人は読まない方がよいと思う。

通勤電車に乗りながら「贖罪」について考えていて、

要するにsacrificeである

要するにというかそのままなんですが。

誰かのために死ぬことです。自己犠牲のことです。

で、この自己犠牲というのはとても男性的というか、逆に女性的というか、

女性の体の仕組みとして実に自己犠牲であるのかなと思ったというのは、

要するに(時に命を賭して)子供を産むということです。

種を生かすための仕組みが個体を殺すことがあるってどうなんだろ。

で、その仕組みを体に持たない男性主語が非常に大きいがここはあくまで体の仕組みのあるなしの話なのでご容赦いただきたいし、女性であるがそういう仕組みがそもそもない、あるいはもはやない人についてははしょらせていただきたいし、あとそんな難しく考えられない)は、なんというか反動的女性性に対してそういったものを求めてしまいがちなのかなと思ったわけです。

んでこう、求めるというのは押し付けがちということなんですけど、

まぁ三歩下がってなんたらとかね、奥さんは家に入ってなんたらとかね、

特に日本ありがちなんだろうかこう(他の国を知らないだけだが)、

女性に対して自己犠牲を強いるというのはつまりそういうことなのかなぁと思ったわけだが、

基本それは女の人が我慢してるわけじゃん、いやいややってるわけですよね。

でもなんかそういったことを強いる側の人間

まり自己犠牲の仕組みを持たない男」は、

そういう女性の行動について「愛情かな?」みたく思ってんじゃねーのかと思ったわけです。

(思ってるのかな? と思う理由も考えたりしたけどはしょります

しかもそれは尊い、すげぇ尊いと「自己〜略〜男」は多分思ってて、

愛情だと思ってるから女の人が我慢してるなんて全然思ってないか

(そぶりを見せてもそぶりだけだと思ってて)

なんかもうそれでよし! ウィンウィン! とか思ってんじゃないかと思ってて。

で、これが一番言いたいんだけど、

その「尊さ」に憧れるあまり気持ちの具現化がつまり切腹」なのかなって思ったんですよ。

あれはつまり自分の腹に「女性器」のようなものをつくって、

そこからピンキーなのをドバドバと、つまり「産む」ことの模倣なのかなって。

憧れるあまり「それになりたい」と、

自己犠牲の仕組みを持たない男」が「自己犠牲の仕組み」を、

無理やり自分の体に作り出す行為なのかなって。

なんか男ってバカだな…と思いました。朝の通勤電車で。

おしまい


【番外編】先回りのQ&A(という形式自分対話

Q.切腹なんてしたくてしてたやつがいると思う?

A.いないと思います

いないとは思うけど「やんなきゃいけない! おれ死なないといけなくなった!」てなった時に、

じゃあどういう形で死にますかっていろいろあったうえであの形になっているのは、

なにかしらの意味というか理由というか紆余曲折があってのあれなのかなと思うと、

そこにあてはまる話が今回書いたようなことなのかなと思いました。

思っただけだから特に調べたりとかしてない。

Q.なぜ「産む」行為が「死」に直結する行為になる?

A.死なないと「自己犠牲」にはならないからねぇ。

この場合自己〜略〜男」にとって「自己〜略〜女」は、

「産める生物」というよりも「自己犠牲できる生物」という点で憧れの対象ということでは。

となると逆に「産む仕組みを持った生物」としての女性について、

「産む仕組みを持たない生物であるところの男性が、

そもそも憧れているのか? どう思っているのかもわからないけど、

どういうふうに感じていて、それをどう表現しているのか、

というのは考えてみるのもおもしろいでしょうな。全然思いつかないけど。

単純に「神様」に昇華してんのかな、やっぱり。

となるとそこで「生」と「死」が繋がるわけかね。知らんけど。

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