ちょっと前にここで憂さ晴らし程度に記事を4つ程更新したら、思った以上に反応を頂いた。
賛否両論ではあったけど、共感や励ましのコメントを読んでいくうちに自分の中の憑き物がすとんと落ちた気がした。
自分の書くものはちゃんと人の心を動かせるのだという実感は、とてつもなく自分を強くした。
私は趣味で漫画や小説の二次創作をやっている、いわゆる腐女子だ。
承認欲求が人一倍強く、他者が評価されているのを見ると平気な顔を装いつつも内心にはドロドロとした感情が渦巻いていた。
私生活も上手くいっていない部類だったので、増田として書いた記事は本当に日頃の自分の感情を吐き出す気持ちでまとめ上げた。
Twitterなどで自分の記事を引用RTされるのを見て、うれしさの半面、ヒヤヒヤもしていた。誰かがこれを私だと特定したらどうしよう。そんな自意識過剰の日々が数日続いた。
でも、幸か不幸か、誰もそれが私だとは気付かなかった。
そりゃそうだ、誰にも話したことのないことを書いたのだから、特定のしようがない。
でも、私の心の中にだけは「あれは私だ」としっかりと記憶として残った。
しょうもない匿名日記ではあるけれど、私の書いたものであることは確かだし、嘘偽りはない。ログだってしっかりと残っている。
でも、私はいやらしい奴だから、数字も欲しかったんだと実感した。
讃えてもらうだけが全てではないとも思う。
でも、讃えてもらって私は救われたんだと思った。
その気付きは、私の生活と考えを塗り替えた。
認められたかったら、思いを込めて、形にすればいい。
私にはちゃんとその才能があるのだ。
矛盾してるようだけど、認められるためのものを作るんじゃなくて、一生懸命作ったものはある程度は絶対認めてもらえる自信がついた。
気楽な気持ちで作ったものはそれなりの評価だし、表情や台詞の言い回し一つに気を配って、沢山の人に読んでもらいたいと願って作った本気の作品はちゃんと多数の人に読んで頂けるようになった。
それでも大手の描くような美麗な絵ではないから、爆発的には伸びない。
それでいいのだ。私は私の作品を、私の想定するクオリティで作れるようになったことが、今なによりも嬉しいのだ。
タイトルでは「成仏した」と書いたけれど、形を変えて側にいてくれるような気もする。
あれも、私の一部分だった。
このエントリーを読んでくれている人の中に、前書いた記事にコメントを残してくれた人がいるのなら、心からお礼を申し上げたい。見てくれただけでもいい。
おかげで私は、私のために創作が出来るようになったよ。
ただ、それだけの気持ちです。