ここはたまに見てたけど、自分で何か書こうと思ったのは初めてだ。
家から二、三歩歩いたところで、行く手に人が立っているのに気づいた。
黒っぽい格好をした眼鏡のおっさんだった。満面の笑みを浮かべていた。
おっさんのズボンのファスナーからは褐色の長い物が出ていて、扇風機のようにぶんぶんと上下左右へ躍動し、旋回していた。
それが何だったのかは今でもはっきりとはわからないが、冷静に考えるとたぶんおっさんの性器だったんだろう。
そのおっさんに目がひっかかって、脳が理解した時、一瞬で目の奥、肩、全身から温度が抜けていった。
普段自分の体を取り巻いている自分の分の空気が一気に冷えて、薄っぺらい膜に凝縮されて、自分の体全面へと頼りなくぴっちり張り付いた。
そのおっさんから発されている空気が、その薄皮一枚だけを隔てて自分を圧し潰してくるようだった。
喉が鈍痛で詰まった。
その圧迫だけをただただ感じさせられながら、目をおっさんからもぎ離して、連れていた犬の方へと動かした。
犬は普段通りに体をゆらして呼吸をしていた。
反射的に口が動いて、犬に「行くよ」と声をかけて、そうしたら足も動かすことができた。
私はおっさんから努めて目を逸らし、犬の背中の毛並みと、動く肩甲骨を見ながら、笑顔のおっさんの脇を通り抜けて、普段通り散歩コースの道へと歩き出した。
他のことを考えるような余裕はなかった。
振り向いて確認はしていないから本当のことはわからない。でも動く気配はなかった。
散歩コースを何周かしてからゆっくり家の近くに戻って、何度もおっさんがいないことを確認してから、家に入った。
家族に話すことも、誰かに通報することも考えなかった。そういう発想がなかった。
今でもそうしようとは微塵も思わない。しないことは自分のために正しい判断だったと思っている。
社会的には正しいわけはない。おっさんに何がしかの制裁を与えるチャンスも失った。
でもそれ以上自分の何か、自分を構成する何かの一欠片でも、あれのために損ないたくなかった。
友達には一度この話をしたことがある。
女子のグループのおしゃべりで、他の子が痴漢にあった話をするのを聞いて、私もこの話を笑い話風味にして吐き出した。
でも未だにこの思い出が、腹の中を時々渦巻くことがある。
あのおっさんに生殺与奪を握られたと思った瞬間を、この先も私の脳は多分しつこく覚えてい続けるんだろう。
その暗い予感が本当にいやだ。
私のこの恨みはどこへ持っていけば捨てられるんだろうか。
ここまででもう体力を使い果たしたから、もう一個の思い出は最低限吐き出したいことだけ書く。
帰る途中で知らないおっさんに声をかけられた。
瞬時に上述の思い出が頭をよぎって恐慌状態に陥ったが、ともかくしどろもどろにでも断った。
するとそのおっさんはこうのたまった。
「お前なんかね、高校生じゃなくなったら誰にも相手にされなくなるよ」
こっちは今なら言える。ふざけんな馬鹿野郎。大嘘つき。ブーメラン野郎。何とでも思い浮かぶ。
こっちの恨みはもうそろそろ痛くなくなりそうな気がする。
いつしかこれらの思い出は、ネット上で嫌でも目に入る熾烈な女叩きと化学反応して、よくわからないことになった。
普通に男友達とも話せるし男の人と恋愛もする、ネットで男叩きもしない。
でも男の人から少しでも一方的に性的な好意を向けられたと感じると、それが例えどんなに仲の良い男友達であっても気持ち悪くて即縁を切りたくなる。
男の人とハイタッチとかした後、反射的に手を拭ってしまうくせも、とても失礼なこととはわかっていても直すことができない。
ネットの女叩きをたまに回避しそこねて、品性下劣な文章が目に入ってくると憎悪に燃える。スルーすることができない。
今まで長いこと憎しみを抱え続けてきた。
もうそろそろ楽になりたい。戦う気力はない。それはよくないことなのかもしれない。
書き終わって思った。
ハイタッチ後に手を拭うのはわりと傷つくのでは
なんかトラウマになっちゃってるんだろうね しょうがないと思う 徐々に忘れられたらいいね