2015-06-05

子供達にゲームはしてほしくない

小学生のころからゲーム大好きだった俺。

社会人になった今もPCゲームはしているものの、

携帯ゲームは一切しなくなった。ソシャゲーも。

で、休みの日にイオンにいって思ったのは、

どこもかしこ子供達が携帯ゲームをしているな、ということ。

椅子に座って、首を曲げて、背中丸めて、死んだ魚のような目で、3DSの強烈なブルーライトに釘付けになっている。

一緒に来ている親も首を曲げて携帯ソーシャルゲームに夢中になっている。

俺はそんな光景を見るのが嫌だ。

親は彼らの責任なので別にいいが、子供達にはゲームから離れて遊んで欲しい。

俺の中学時代は、PSPモンハンが大流行していたということもあって、

遊ぶとしたらだいたい誰かの家に集まるか、

リアル集会所のようなとこで集まって、やるのは決まってPSPだった。

中学生ながらも、これは間違っていると薄々感付いていた。

高校時代も同様で、カラオケに集まって、部屋の中でPSP

全員が無言でボタンをカチカチカチ...

それをフリータイム終了まで行い、「お疲れ」と一言言って解散。

会話がない。

俺がゲームをしてて思うのはこれだ。

それは今、PC海外ゲームをやっててもそれを思う。

ひとつセッションに集まって、何らかのゲーム内の目標があって、それを達成できるまで、無言。

何度も失敗するやつがいときだけ何か言うが、言ったあとはすぐに、無言。

子供達にゲームはしてほしくない。

会社ゲームを作りながら毎日それを思う。

子供以上大人未満の大人を騙すために、ちょっとエッチな服装やボイスのあるソシャゲーを作りつつ、

一方で子供達にも画面から目と手が離せなくなるような派手な演出携帯ゲームを作っている。

下弦の月のような目で、チカチカと眩しい光を放つディスプレイを眺めて、無言で作っている。

子供達はまだ子供だから面白いものばかりに目が行くのは当然のことだろうと思う。

ゲームほとんどのことが自分の思ったとおりに動くし、自分の望んだ結果は大概の場合得られるからそれは確かに面白いと思う。

でも、子供達にはゲームを離れて会話を楽しんで欲しいと思ってしまうのは、俺のエゴだろうか。

小学校時代中学時代高校時代大学時代

それぞれ、その年齢、その場所しかできない会話があったと思う。

子供達はその死んだ魚のような目で何を見ているのだろう。

彼らの目には何が映るのだろう。

アニメで普段よく描かれているような、

典型的学校生活とは程遠い、淡白な日常

子供達はやろうと思えばその淡白な日常を、アニメのような日常に変えることができる。

社会人になって学生生活を思い返して、「ゲームしかしてなかった」というのはあまりにも淡白で、残酷なことのように思える。

現代では盛んにコミュニケーション能力コミュニケーション能力と言われているが、そんなんじゃなくて、単に目と目を合わせて会話をしてほしい、と子供達をみて思った。

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