2015-06-02

旧帝大合格した19歳が俺の人生のピークだったと就活に失敗して初めてわかった

旧帝文系4年、内定はまだない。大企業面接自分なりに研究して8社受けて、全滅した。持ち駒が消えたので、あとは手当たり次第中小企業を受けていくしかない。旧帝だから中小のどこかは取ってくれるだろうが、俺の勝ち組になるという人生設計は終わった。

面接に落ちたのは、俺が非コミュからだ。組織で動く会社は、コミュニケーションが取れる人を求めるのだ。

大学生活を通じて、友達は一人しかできなかった。サークルなどは5つくらいやりいい体験ができたが、人間関係に馴染むことはできなくて、どれも1年くらいでやめてしまった。

男子校中高一貫の頃はまだ何人か友達がいて、その友達のうち7人くらいとはまだ付き合いがあるのだけれど、自分から壁を作るようになってしまったのだろうか、大学では人間関係全然作れなかった。中高の友達は、皆大学でも友達ができているみたいなのに。

もちろん、「彼女いない歴=年齢」だ。大学に入った4月、同じ学科女の子一目惚れし、小学生ときクラス女の子に淡い好意を抱いて以来、TV映画女優以外の恋愛経験がなかった俺は、俺がこんなに好きなのだからの子と付き合えるものだと思い込み、だがとても可愛いの子は俺と笑って話をしてくれたもの恋愛的に相手にするわけがなくて、冬に告白したが当然振られ、でも諦めきれずしつこく付きまとい、その子のあの美しい、見ているだけで生きてきた中で最高の幸せを感じることができた笑顔を見ることができた関係性は崩れてしまった。

他の女の子とも、親しい関係は作れないまま、大学卒業しようとしている。

あの大学に入った4月、あの子と付き合えるのだと夢をみた4月から振られる冬までの数ヶ月が、俺の人生のピークだった。外見がぱっとせず、非コミュで、年収も低い俺が、あの子のような可愛い女の子と付き合い、結婚することはできないだろう。それがわかってしまった今は、19歳の頃に抱いたような将来への希望はもう持てないのだ。私立中から旧帝大に入ったときは、俺は当然勝ち組として大企業に入り高収入を得、可愛い奥さんをもらうのだと思っていた。それは儚い夢だったと、やっと今わかった。負け組は負けらしく、淡々と生きていくしかないのだ。

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