2015-05-01

人工知能出現はエライことになるのか否か?

http://tjo.hatenablog.com/entry/2015/04/30/190000

リンク先は「今世間では人工知能がとんでもなくもてはやされ(あるいは恐怖され)てるが、そうでもないよ」という話。

話の要旨は

けれども、世間の人々が期待しているのは「singularityに程なくして到達し得るほどのSF小説に出てくるような人工知能」であって、「莫大な種類のパラメータチューニングと果てしなく続く前処理の果てにようやくヒトが作業するよりも5%程度精度が高くなる機械学習分類器」ではないわけです*10。その見解のズレは、世間の人々が自ら機械学習とそのために必要数学や関連分野の学術を学ぶようにならない限りは、なくならないことでしょう。

ってな感じ。学者さんらしく「世間の人々の理解レベルが低いので幻想見てるんだよ」という結論です。

全体的に同意できる記事なのですが、結論というか着地点はずいぶん違うんじゃないかなあという印象。

というのも人工知能(ここでは機械学習)が「社会」に対して与えるインパクトは強烈だからです。例えば文章の多言語翻訳は、今後10年で常用可能なレベル機械翻訳が登場するでしょう。自動車の運転も(法的な規制さえ間に合えば)実現する可能性が高いです。画像認識による機械警備や、機器監視なんかも置き換わる可能性が高いです。記事先では「5%程度精度が高くなる機械学習分類器」なんてしょんぼり書かれていますが、一度実現してしまえば教育コスト無しで複製でき、大量生産コストダウンしていける、さらには24時間働かせても誰も訴え出ないこれらの機器は、該当分野の雇用状況を一変させるでしょう。

率直に言えば、社会を変革するにあたって「世間のみんなが夢想するような人間比肩するAI」なんてレベルのもの必要ないのです。

初期設定には人間の介添え(チューニング)を必要とし、狭い学習分野しか通用せず、人間より数%しか能力向上がなくても(あるいは能力が下でも!)、電力で動く機械であるというだけで、十分に社会を変革できるのです。そもそも失業率が1%上がった下がったで一喜一憂している先進国為替が1%上下しただけで冷や汗と笑顔が交差する企業において、「たかだか5%程度」なんてのは口が裂けても言えない数字です。

雇用に影響を与える」という一点において、人工知能の今後10年は、脳研究のそれとはまったく違った経過をたどるのではないでしょうか?

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