2014-08-15

寂しさを噛みしめる練習

小学校時代からコミュ障をこじらせて十数年。痛い目に何度もあいながら一通りコミュニケーション技術を身につけて、大学も出て就職もして、なんとかまともに人と会話が出来るようになったが、根本的な人嫌いだけは治らない。

寂しいという感情は人並みに持ち合わせている。だが人嫌いのせいでなかなか他人と接点を持てない。

多くの人と会話してつながりを作っていった方が良いのは分かっているが、今まで一人でいた時間が長過ぎて一人で過ごしても平気でいられる術を体得してしまい、そこに依存してしまっている。

職場では本心を出さずにビジネスとして機械的に流す会話が出来るようになり、家に帰ってもテレビネットを見ていれば寂しさは紛らわせるし、必要ものは一人で買い物してファーストフードで食事すれば生きていくことは出来る。

しかし寂しさだけは一人ではどうにもならない。数年前付き合っていた彼女との愛しい会話や体の接触が忘れられないし、今でも夢に見る。本当は好きな人とイチャつきたい。

テレビバラエティ番組を流しながら2chSNSはてブをしていればなんとか紛らわせられるが、寂しさを紛らわせる為だけの行為なので中身は何も無い。何も身に付かず情報を体に流すだけの時間。本当に無駄だ。出来れば寂しさを解消して心の余裕を持った上で、本当の意味での考察や楽しみを持ちたい。

そう思って俺は寂しさを噛みしめる練習を始めることにした。寂しさをごまかさず、寂しいと心の底から感じること。

まず俺はテレビ音楽を消した。笑い声や音楽が流れていると楽しい集団の輪の中にいるような錯覚がしていたが、リモコンでOFFした途端、静寂が部屋の中に充満した。

次にネット。暇さえあれば2chSNSを覗いてリアルタイムで物事が動いている様子を感じていたが、ひたすら見るのを我慢した。まるで時が止まったかのように何も起こらない。

俺の日常はなんて空虚だったんだろうか。まるで何も無い。今まで寂しさを紛らわせる為だけに俺の頭を通り過ぎていった情報音楽たちは、俺の周りにリアル存在する空間から無関係だった。

俺はとりあえずベッドに寝転がり、窓の方を向き、ガラスから差し込む日の光が壁に当たっているのを確認し、エアコンのかすかな音を聞いて、孤独に怯えた。これでいいと思った。

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