2014-06-08

居なくなったあの子と、祖父と、夢の話。

こちらのエントリ(http://anond.hatelabo.jp/20140607133805)を読んで、わたしが経験した少し不思議なことを思い出した。トラバするにも失礼なほど自分自身の話になってしまうので、最初に…元増田の心と身体の健康と、来るべき未来家族幸せをお祈りしています。珍しいことじゃないとか頭では分かっていても辛いものは辛いから、どうかご無理なさらずに。

オカルト注意というほどではないけれど、苦手な方はそっと戻るボタンで。

私も数年前、元増田と同じ経験をした。

突然やってきて凄く驚いてそれ以上に喜んだ一ヶ月間。初めてのたまごクラブとか買ってきちゃって、なんだかマタニティマークを付けるのにも照れくささよりクワクが勝っちゃって。「次回の検診で心拍を確認しまから母子手帳貰ってきてくださいね」と言われ、喜び勇んで貰った母子手帳には、一ヶ月後「稽留流産」の文字が記載されただけだった。心拍が確認されなかったのだ。

あの時の気持ちを思い出そうとすると今でも息苦しくなる。何だかお腹がすーっとしてしまったような、不思議喪失感。昨日まで一方的にだけどずっと側にいて話していた人がいなくなっちゃって、寂しくて悲しくて、手術の後随分経っても気がつくとはらはら泣いていたりした。

わたしも元増田と同じで水子供養はしなかった。水子にしてしまうと、何だかそれで終わってしまう気がしたから。短い間だけど、わたしを親にしてくれたあの子にまた来て欲しいと切望していた。

話は少し飛んでしまうが、流産から数ヶ月後に祖父が亡くなった。寝たきりにはなったけれど、頭はしっかりしていてわたしの妊娠をとても喜んでくれていた優しい祖父。そんな祖父を悲しませたくなくて、流産のことを言えずにいるうちに云ってしまったことが後悔のひとつであった。

その祖父の四十九日を迎える頃、ある夢を見た。

夢の中で、祖父は生き返っていた。何だ、やっぱりじいちゃん死んだなんて嘘だったんだ。抱きついて抱き締められて、温かく大きな手で何度も頭を撫でてもらった。じいちゃんもう死なないでよ、そばに居てよ? 祖父がニッコリ笑ってくれたのを覚えている。

場面はいきなり変わる。壁に一枚の絵が掛かっている。明るくて楽しそうに道の真ん中で踊る人々。その両脇を彩る鮮やかな木々の緑が目に飛び込んでくる。綺麗な絵…そう眺めていると、わたしの横をすっと駆け抜けてひとりの女の子が絵の中に入っていってしまった。「待って!だめだよ、そっちに行っちゃだめだよ!」わたしの声は女の子に届かないようで、絵の中の道を踊りながらどんどん進んで行ってしまう。「行かないで、そっちはダメなの!」何故か分からないけど必死叫び続けるわたしの横には今度は祖父が立っていた。「いいんだよ、あっちにいっても。大丈夫から心配しないで」祖父はまたニッコリ笑ってわたしにそう言った。

うわーん、と声をあげて泣きながら目が覚めたのはこの夜が初めてだった。幽霊は居るかもしれないし居ないかもしれない、そんな程度にしかオカルトは信じていない。でもこの夢だけは、祖父が自分あの世に行くときに一緒にあの子も連れて行ってくれたと、そしてそれを知らせにきてくれたのだと、だいぶ身勝手解釈だけれど夢の中での祖父の手の温もりが素直にそう信じさせてくれた。

現在のわたしはというと、歯磨きを嫌がる二歳児との追いかけっこを毎晩繰り広げている母ちゃんになった。あの夢から半年がすぎて妊娠した子は、家ではヤダヤダばかりだけどお友達にはどうぞと玩具を譲れる(ようになってきた)、母ちゃん自慢のやんちゃで優しい女の子に育ってくれた。

の子があの子かもしれないし、違うかもしれない。あの子はまだあっちで再出発の準備をしているのかもしれない。水子供養しとけばもう少しはやくあっちに戻れたのかもしれない。ぐるぐる考えは巡るけれど答えはない。ただいつかこの子が大きくなったときに、居なくなったあの子と祖父と夢の話をしてみようと思う。

なにその話気持ち悪い、とか言われたら母ちゃん立ち直れないから反抗期に話すことだけは止めておこう。

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