http://anond.hatelabo.jp/touch/20140321060847
フェイスブックのタイムラインに出てきて、みんながみんな「なんでこんなことを言うんだろう」「悲しくなった」「不快だ」と言っている。
だけど、私はそんな風に思えなかった。
この記事のどこがそんなに異常なのかと不思議になったくらいだった。
就職活動をしていると、ある程度の常識を求められるというか、「おかしくない奴」であることが必要なんじゃないかという思いに駆られる。
そして、自分はそういう常識が人より欠けているのではないかとも思っている(正確には、去年の6月から始めた就職活動を通して思い知らされた。)。
大多数の人と違う感覚を持っているのではないか、この記事を読んでまたそんな風に思わされてしまった。
私はこの記事の執筆者が批判されるような内容を書いているとは思えない。
社員が就活生に会うのはコストだと思うし、就活生から学ぶことは何一つないっていうのも本人がそう思うのならそうであって、そこに他人がとやかく言うのは違うと思う。
考えてみれば、就活生に会って社会人が得るものとはなんなんだろう?
人事部の人なら面接をするスキルを磨くうえでプラスになると思うけれど、それ以外の人はどうだろうか?
学生の話を聞いて勉強になった、と言う社会人に会ったことは何回もある。けど、具体的に何が勉強になったのかはわからなかった。
その人の個性に触れて、知見が広くなることがプラスなのだろうか。
日本の社会人はほとんどが「元大学生」だと思うし、大学生と話す機会なんて掃いて捨てるほどあったはず。
ただ、社外の人と話すのと、社内の人と話すのと、学生の人と話すのでは会話の内容に大きく違いが出るだろうし、
面接ではその人の内面に迫るようなことを聞くのが普通なので、面接を通じて他人の価値観に触れる、と言う意味では学ぶことがあるというのも頷ける。
しかし、それとてどれほどのことであろうか。
今後何年たっても忘れらないような人物に会うことなんて、一年に一度あるかないかぐらいではないだろうか。
仮に、出会った学生すべてに関してメモを取り、保存しておいて、度々見返すようなことがあったとしても、それがいったい何の役に立つのか?
人生の経験としてカウントされるに過ぎないのではないだろうか。それかその学生と再び会った時に好印象を与えらえるぐらいか。
そんなこと、企業で働く社会人に必要だろうか。その経験を大切にするくらい社会人生活には刺激がないのだろうか。
「些細なことでも勉強になる」「刺激になる」ということを大切にするのはよいと思うけれど、それがどれほどのインパクトを持つのかという観点を私は大切にすべきだと思う。