2014-03-06

食育」よりも「資本主義育」「競争育」としての給食競争制度

http://anond.hatelabo.jp/20140305234103

の「学校給食の美味しさ競争制度」の暴論書いた増田だが、一晩考えたら、

この「児童に美味しさの投票をさせる」という制度自体が、「教育的にもプラス」なように思えてきた。

おそらく、一部の教育委員会では、給食業者の競争入札なんかもやっていて、

栄養学的観点コスト観点安全性観点から選考がされていると思う。

あるいは、実際に「大人」が試食してみて、美味しいかどうかも選考ポイントに加えている自治体もあるかもしれないが、

この中に「本来のお客様である児童の声」が入り込む余地がない。

というか、「児童はお客である」という観点のものが許されていない。

自分提唱する学校給食美味しさ競争制度の「キモ」は、

「(本来の受益者であり、「お客」である児童自らを、競争制度メンバーに加える」ということである

児童意見で100%決まるものではないが(例:栄養学的観点)、児童意見無視しては、成り立たないようにする、そこが肝心。

そして、

競争によって、味がよくなります」「競争に敗れると、業者から外されます」という「資本主義大原則」を、

子供の目の前で「わざと」可視化させること、それ自体が非常に重要なのではないか?

よく「給食食育として重要」という意見があるが、

給食業者を競争で選定し、競争に敗れた業者は外す」という過程を「わざと子供の前で可視化させる」ことが、

資本主義育」「競争育」の効果が出るのではないか?

人々は幼少時の経験に左右されがち。

小学校時代に、「競争学校給食がよくなった」と体感した子供は、「資本主義競争」を体感的に「是認」するようになって、

競争肯定な大人に成長」すると思う。

学校世界というのは、資本主義世界から隔離されていて、というか、「資本主義世界を持ち込むのは悪」ともされている。

一方で日本人証券投資は少ない、金融リテラシーが少ないからだ、と「出前金融教育」みたいなのをやってたりしている。

学校給食というのは、子供たちが小学校で目にする、数少ない「財」の分野であり、唯一「資本主義社会との接点」でもある。

であれば、出前金融教育みたいなのをやる以前に、この「唯一の資本主義社会との接点」を活用しない法はない。

ブコメに「栄養バランスは?」的質問が多かったが、栄養バランスを維持するのは当たり前だ。

1か月トータルで栄養バランスが維持されながら、その制約の中でいかに美味しい給食を出せるか、その辺が業者の腕の見せ所だ。

それに、そこで得た「どういう味が児童に受けるか?」という経験ノウハウは、

一般外食チェーン店が子供向けメニューを開発する際に生かすことができる。

本来なら、すかいらーくロイホが参入してもおかしくない。

ツタヤ図書館で議論を巻き起こした武雄市辺りが、実験してくれないかな?

記事への反応 -
  • 東京都庁の職員食堂は、「西洋フードシステム」と「アターブル松屋」の2社が進出し、互いに競争している。 それを見て思いついたのだが、学校給食も「競争」すればいいのに。 例...

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