2014-02-16

実名匿名問題から考えるネット実顔主義

ネット実名匿名の問題は、長年にわたって政治論争がなされている。ただ、これはあくまで「べき論」だから絶対的な答えのある話でもないし、その問題自体にはあまり興味がない(が、政治から無縁な人間などいないし、自分立場を聞かれれば、はてな匿名ダイアリー精神にのっとり、匿名支持派と答えるけれど)。

私が興味を持つのは、ネットがどうあるべきかを考えるとき現実社会生活から考える思考経路。すなわち、現実生活実名なのか匿名なのか。

ある人が会社学校に行くとき、その人は当然ながら名前立場は周囲に知られている。実名支持派のもっとも素朴な根拠はこういう感覚だろう。しかし、ある人が道を歩くときコンビニ飲み物を買うとき名前立場は知られていない。匿名支持派はこのように考えるわけで、これはプライバシーにもつながる感覚とも言える。

そこで中間的というわけでもないが、実名匿名に対して、顕名というスタンスもある。現実生活はいつも名札をつけてるわけではないし、状況に応じて立場は変化するが、それでもたえず身体や人格の時空的連続性はある、という発想と言える。実際にネットでも、みんな何かしらのIDを取得するし、そもそもIPアドレスだってある。つまり、どのような社会空間であれ、個々人の時空的連続性が切断されてしまうのはおかしい、ということ。これは名のあり方以前にもっともで、自然な話と言えそうだ。

では、ネット実顔主義というのはどうだろう。現実生活では、まずなによりも顔を隠していないし、状況に応じて立場は変化するにしても、顔は変わらない。そして覆面をかぶって行動する状況なんてまずない。たとえポルノを購入するときだって名前立場は隠せても、ふつう顔は隠せないし、隠さない。コンビニだって匿名で利用しているが、フルフェイスヘルメットをかぶって利用はできない。であるならば、ネットもそうあるべきなのではないか。これは少なくともネット実名よりも強く現実生活リンクした考え方だと思うが、なぜか主張する人はいない。ネット実名支持派はネット全体のFacebook化を支持するだろうけど、それよりもっと現実生活実態に則したFacenet化を先に求めるべきじゃないのかな(いわばアバター画像を認めない「※ただしイケメンに限る」の全面空間化)。

もちろん現実など一切気にせず、ネットはこうあるべきだと考えることもできる。が、ともかく匿名でも顕名でもなく、あくまでも現実リンクした実名ネットを推進したい人は、結局のところ、現実社会的立場ネットで(またネット社会的立場現実で)活用にしたいのだろう、そのメリット享受したいのだろう、と考えざるをえない。きっとアバターじゃなく実顔のネットを推進したいのが、私を含む美男美女たちであるように。

結論。私はネット匿名支持者(非・実名支持者)で、かつネット実顔支持者(非・匿顔支持者)、つまり名前隠して顔隠さず」を目指す者であるからして、はてな匿名ダイアリーのみなさんとはおそらく半分しか仲良くできない気がする。まったくもって残念。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん