http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209
切ない気持ちで読んだ。私が高卒のことは、会社の人はほとんど知らない。人事と直属の上司ぐらい。聞かれないから答えないだけ。
母はずっと「商業高校に行きなさい」といっていた。だから中2で進路の話をするときに、「商業高校にいきたい」と先生に話すと「商業高校にいったら大学にはいくのは難しくなるけどいいの?よく相談しなさい」と先生に言われた。そうか、大学、いきたいな、と、漠然と思った。母に相談すると「早く就職して働いて家計を助けて。どうせ女は結婚するのだし大学など行く必要はない。従兄弟(唯一の大卒のおじの娘)だって大学にはいってないんだから」と。お金がないなら奨学金もあるって、といったら「30歳過ぎまで借金返済しないとならないけどいいのか?」と。私にとって「走る必要は、ない。」と言われたときだった。
15歳で30歳のときの借金のとこなんて考えられなかったし、怖くなったから、結局、商業高校にいって、情報処理科でプログラミングにふれて、おかげで今があるんだけど。でもいまは、借金しても大学に行っておくべきだったと思う。
もうすぐ40歳で、結局、結婚はできず、仕事は一生続けていくことになって、一応それなりに稼げてはいるけれと、自分に基礎的な知識というか、根本的なものがなにか足りないことを日々実感してる。いままではだましだましやってきたけど、ほんと、もう、だませない感じ。きちんと知識があって、勉強の仕方、学び方を知っている人とは何か違う気がして。
高校は、商業高校の情報処理科で、ほかの商業高校より偏差値は高くて、クラスメイトには「頭はいいからちゃんと勉強すればもっといい学校にいけるのに、あまり勉強をする気がしなくって」という子が多かった。だから、割とみんな、ちょっとやればそこそこできる。走る必要はない、と言われた子たちが多い環境だったのかもしれない。
父は配管工で母はパートで二人とも中卒で、高校まで行かせてくれたことはとてもとても、感謝してる。本当にありがとうと思う。
でも、借金の苦労をさせたくなかったのだろうけど、奨学金の正しい知識がなかったこと、そうやって学ぶ可能性を否定されたことは、絶対に忘れない。
借金の苦労はしなかったけど、別の、大変な苦労をしているよ、お母さん。
小学生のときによく買ってくれた本は、キリスト教系の本で、市販していないような、いま思えばどこかの宗教団体が出しているような本だった。「いい本だから読みなさい」って渡されて読んでた、うちはキリスト教なんかじゃないのに、母はどこからその本を買ってきたんだろう?と今でも思うけど、きっと、知り合いにでもおだてられて買ったんだと思う。自分はよんでいないのに「いい本」ってなんだったんだろう。その後本は、自分で図書館で借りるようになった。
救いは、父が新聞好きのNHK好きの映画好きだったことかもしれない。今でも母は嫌いだが、父は好きだ。
ねだって買ってもらった絵本の初めの記憶は「しろいうさぎとくろいうさぎ」。幼稚園でもらったチラシのうさぎの絵がかわいくて、無理を言って買ってもらったんだった。そういえば。どうでもいい話だけど。
就職の箔付けとしての学歴が欲しかった、と言う意味で大学行きたかったと言うのならもう手遅れだけど 知識を得たいだけなら今からでも間に合うのでは。
同じような境遇で同じこと言われても成績で結果を出して諦めさせ、商業高校卒業後大学の商学科に推薦入学しました。 「奨学金貰うなんて外聞がみっともないから同意しない」とか言...
大学ってそんなにご大層なもんかなあ。 自分から興味を持ち考えた答えについて教授や一緒に学んだ同期と話し合え 思考方法を言葉や文字にする際のアドバイスをもらえるというの...