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2024-06-16

暇空さん地平線の向こう側に勝手に一人で行ってない?

https://anond.hatelabo.jp/20240615223307

前々から思ってて、さらにこの対談見て確信したけど、暇空さん、地平線の向こう側に勝手に一人で行ってない?

物事理解議論折衷みたいな考え方の1つとして、哲学ではガダマー『真理と方法』(1960年)という本に1つの答えがある。(まあ、人間の脳における「理解」の現代の専門分野は、脳科学認知心理学(cognitive psychology)に取って代わった感もあるが)

これはどんな考え方かというと、「理解」とは「地平の融合 fusion of horizons」であるという考え方である

では「地平の融合」とはどういう概念かというと、今まで持ってる知識に新しい知識が合わさってこの中間(水平)にくる、というこの作業が「理解」というシロモノであるといっている。

例えば、新しいモノをわかりやす理解するために例え話を使ったりするが、これはまさに、新しいモノを事前に知ってる古いモノで例えて理解という作業を試みてるわけである

さらに、確率統計に例えるとこの概念ベイズ統計にかなり近い。ベイズ統計では事前に知ってる事前確率(事前情報)に新しい観測データとして尤度(新しい情報)を計算しそれを使って、事後確率事前確率と尤度の間)へ更新計算をする。「地平の融合」とかなり近い。

この「地平の融合」の考え方は、議論でも重宝される。A案、B案の2案ありそれぞれの立場議論において、地平の融合により折衷案Cを生み出せるわけある。議論において、この「地平の融合」を目指すべきなんてはこの効用があるためよく言われる(もちろん、トンデモ案は融合を目指す必要なく却下される前提だが)。

で、暇空さんの議論のやり口って、こういった「地平の融合」みたいなのは無さすぎないか?という話である

人間誰しも多少なりとも偏見(事前情報)を持ってるわけだが、これは他の人や本、ネットなどとのコミュニケーションにより、情報交換が発生し(新しい情報を得る)、多少な偏見は均される(地平の融合)。(情報哲学において情報交換が大事なんて言われるのはこの辺だったりする。)

暇空さんの場合、地平の融合どころか持論展開だけで地平線の向こう側に勝手に一人で行ってないか

正直、石丸氏もウォッチャーが付くレベルトンデモなので、こんなのに丸めまれてる場合かと言いたくるなるが、丸めまれてる理由はここである。地平線の向こう側に勝手に一人で行っている。

2024-06-09

人生が変わるカウントダウンアプリ

子供には死ぬ前に与える

死んでから与えるのは遅すぎる。

死んだ後にもらうと嬉しさが半減。価値は激減。

いつ、誰にいくら与えるのかを今すぐ考えよう。

金の価値を最大化できる年齢は26歳から35歳。

親と過ごす時間子どもに与える驚くべき効果

子供との経験か、もしくは仕事か?

なぜ彼女はこつこつためた820万ドル寄付したのか?

死んだ後の寄付は非効率すぎる。

チャリティーは待ってくれない

年齢に合わせてかね。健康時間最適化する支出と貯蓄のバランス最適化

収入の何割かを貯金するやめる

健康は金より重たい

あなたの体は間違いなく衰えていく。

金の価値は加齢とともに低下する。

今金を使うべきか迷ったら?

金、健康時間バランス人生満足度を高める

健康改善人生を大きく改善する。

若い頃に健康投資した人ほど得をする

中年期には金で時間を買いなさい。

やりたいこと、賞味期限意識する

いつまでも子供プールで遊べると思うな。

死ぬ前に後悔することトップ2。

いずれ失われることに目を向ける効能効用

タイムバケツで後悔しない人生をつくる

45歳から60歳に資産を取り崩し始める。

人生最大で最高のパーティー資産を減らすタイミングを決めよう。

老後に必要な?金を確認する魔法計算の式。

資産ピークは金額ではなく時期で、決める資産を減らすポイントは45歳から60歳。

再びでも仕事が好きだから問題

あなたが考えているより、老後に金はかからない

老後を待たずに金を使い始めよう。

大胆にリスクを取る

リスクを取らないリスク

夢に挑戦するか迷ったら?

その場所を変える不安を乗り越える方法

リスクを恐れるあなた

リスクを恐れるあなた

あなたは歓びを先送りしすぎている。

今まで自分は一体何をしていたのだろうか?

これ以上先延ばしをせずに、今すぐ本当にやりたいこと、大切なことをすべきだ。

だが残念なことに私たちは喜びを先送りしすぎている。手遅れになるまでやりたいことを我慢した。

ただ、金を節約する。限られた時間の中で最大限に命を燃やす方法を考えなければならない。

しかできないことに金を使う金を無駄にするのを恐れて機会を逃すチャンスを逃すのはナンセンスです。

大切なのは自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず。お金を使うことだ。

人生の充実度を高めるのは、その時々にふさわしい経験なのだ。いつ何に使うか?

人生テレビゲームとは違って果てしなく高いスコアを目指せばいいわけではない。

2024-06-07

anond:20240607182336

けど現実はその子無し夫婦割合がどんどん増えてて、子供を作らない理由のうちの大きな一つが「子育てに金がかかりすぎる」なんだよ。

うちの場合子供がいない理由経済的理由よりも「知的障害児が生まれたら耐えられないから」が大きい。自分自身いわゆる「きょうだい児」なので。

でも少子化問題文脈でこれ言うと「そんな例外ケースの話はしてない」とかいって無視されるんだよね。

いか確率的にレアだとしても一旦発生したら被る損害が莫大なので期待効用的な意味意思決定に与える影響はでかいと思うんだけどね。

2024-06-06

anond:20240606104053

911ときには第二次大戦終結後50年が経過しており

インターネット戦時効用を確かめ必要性もあった

バンカーバスタ劣化ウラン弾白リン弾など新兵器もあったので自演説は否定できない

ちな今現在ドローン戦時効用確認されていることは間違いない

 

兵器法律も使わないと効果が分からない

発展途上国実験に利用されてきたのは原爆も同じことだ

2024-05-31

anond:20240531120848

この話、自分はその友人がそういう美術鑑賞の趣味に関する話を取引先として気に入られたみたいな話を受けてそれを文化資本的だと思ってたんだけど、地方コミュニティにおいてはパチンコも十分同じ効用を果たす気がしてきていて、そう考えたら都民文化資本地方民のそれより高水準だみたいな話も瓦解してしまいそう

2024-05-29

anond:20240529135718

服はおっさんになった今更お金かけても得られる効用が少ないし、時計は100万円じゃ足りないし、、、革靴はあまりきじゃ無いです。

食事は一緒に行く人いないから厳しい。パパ活女子連れてって「愛人と同伴」の人生実績解除はあり得るけどなんかアホらしいな

2024-05-21

   課題   字下げに対して真夜中の運動会実施した日時を特定するもの技術的に構成して実施日時等を特定せよ。但し、 平成31年2月8日~2月28日の間

        であることは判明しているものとし、その中のどの日付であるかが分からないものとする。発明および物件構成にはその明細書を添付すること。評価においては、制作過程

        における技術のエレガントさと経済性、完成度、制作したもの技術的な効用総合的に勘案して評点する。

          注意: この試験で、可以上の成績をおさめられない場合卒業できないので注意すること。

                                 法 学 部

2024-05-19

[] 2024-05-19

最近の本はつまらない気がする。例えば「頭が良くなる本」というテーマの本があるとして、新着の本を見てもありきたりな本しか見つからない

これはたぶん、私が30歳になるまでの間に一通り色々なテーマでどういった内容があり得るのか見てきてしまっているか

アルゴリズム世界では「探索と活用トレードオフ」というものがある

初期フェーズでは情報集めのために探索をするのが良しとされるが、後半ではむしろ集めた情報活用するのが良しとされる

未熟な若者馬鹿なことをやろうとするのは、単に探索のフェーズいるからで、情報が足りないか

一方歳をとった人たちが保守的になるのは、探索によって学習済みだから

私は年齢的に「探索」のフェーズではないのかもしれない。この年齢になって、何か大成功しようという気は起こらないのだ

少ないものに満足し、質素生活するだけで良い気がしている

仮に私が自分効用を表すなら、以下のようなものになるだろう

満足度 = min(持っている量, (欲しい量 + 必要な量))/(欲しい量 + 必要な量)

欲しい、必要、と思う量が少なければ満足は増えるし、それを超えるものを持っていても満足は増えない

ブラック企業社員に「足るを知れ」と言った場合は注意が必要だが、個人的レベルでは、足るを知るのは満足に生きるために良い指針だと思うわけである

本をたくさん読んでも、実践できなければ意味がないし、実践できる事柄は限られる

そう思うと、私のような負け犬を釣るための自己啓発本など、もう買う必要がないことがわかる

といっても、限度はある。必要な量は固定だし、欲しい量も人生を充実させるにはある程度は必要である

結局、私を悩ませているのは「満たされない何か」という本能であり、これが本を買ったり数学をやりたくなったりする誘因になっている

2024-05-13

anond:20240513185505

男児のように子供の頃から真面目にポルノ探究をしてこなかったからそうなってんではないのか。

ポルノには性的主体としての自己確立する効用がある。主体化されてないか自分欲望も知らずになんとなく与えられるだけの受け身立場に甘んじて、1020も年上のオジンに惚れ込むんだよ

お前に必要なのは男じゃなくてDLsite

2024-05-08

それは解決意味勘違いしている

anond:20240506215204

単に世の中が回っていればいいというだけなら機械などで労働力を補えば回るだろう。なんなら、少子化といっても生産年齢人口の減少率はピークでも年5%も行かないのだから何も技術革新が無くても回るだけなら回る。

でも、少子化問題としている人が考えているのは「少子化が進むパターンとそうでないパターンでどちらの方が人々の消費可能な財が多くなるか」とか「人々の効用を最大化出来るのは人口増加率がどのくらいのときか」とかいった問題であって、回る回らないの話じゃない。労働力を補うための生産性向上技術なんてもの少子化が進もうが進まなかろうが発展していった方がよく、その上で少子化が進むよりは進まない方がいいということを言ってるわけだ。人口爆発だって同じ基準で、これも「人々の効用を最大化出来るのは人口増加率」を超えてくるから問題だと言える。技術効率化するにも限度がある資源によって、人口増加率が高すぎたら最適にならない。

というわけで、最適人口増加率に近付けよう、そこから外れていれば対策しようという問題であって、少子化人口爆発かという二者択一を考えることはてんで意味がないことなわけだ。

2024-04-26

anond:20240426114207

何を当たり前のことを言うてるんや

期待値マイナスでも万が一の損失を小さくするために生命保険に入るんやろが

期待効用ベースで考えんかい

2024-04-05

以前ㅤ抑鬱になった時ㅤ酒飲めばごまかせるかなと思ったが

ㅤ一人で飲んでも惨めな気持ちになるだけであったため

ㅤ何の効用も実感できなかったため

ㅤやめた

ㅤㅤㅤそのため未だにアル中内面想像できない

2024-04-01

[] ミクロの基礎

経済とは、オペレーションズ・リサーチ手法分析されることが多い。

まり消費者効用最大化、企業利潤最大化に基づいて行動する。

均衡分析では、財i=1,...,kが存在するもとでD_i(p) = S_i(p)を考える。

このとき消費者企業が何を最適化しようとしているのかがわかるだろう。

まり企業視点から見れば、どの財をどういう価格でどのくらい売ろうとしているのかによって。

消費者視点から見れば、どの財をどの価格でどのぐらい買おうとしているのかによって分析できる。

ここで「均衡」とは何かということについて、厚生経済学の基本定理では「パレート効率性」が焦点になる。

まり「誰かが損をしない限り誰も得をしない」状態を指す。

なぜこれが「厚生」なのかというと、国民全体の幸福を考える上では「犠牲の元での効率性向上」では困るからである

誰かが損をした場合、厚生を考える上で補償原理の話に自然に向かうことになるだろう。

ここで経済学では「事実」と「価値」の判断区別するということが行われてきた。

パレート効率性は「価値」の話であり、均衡分析は「事実」の話である

価値とは、この場合「なにをすべきか」という論理のことを意味し、事実とは「なんであるか」という論理意味する。

もし功利主義者が現れれば、パレート効率性とは別の「効率性」を持ち出してくるだろう。

典型的には「ハンコ業界を滅ぼして、電子化を進めよう」といった論調がそれに属する。

経済において、特定集団が損を被る場合はまず「パレート効率性」について考えなければならないだろう。

障害者障害年金を配るのは非効率だ!」と功利主義者が言い始めた場合厚生経済学者は「障害者年金を無に帰すことはパレート改善ではない」と言うだろう。

このようにして、「べき論」にも根拠必要であることがわかる。

一般市民がべき論を語り始めると、それは「自分利益になるかどうか」という視点になりやすい。

しか経済特定の誰かの利になるよう調整されるものではなく、国民全体にとって調整されなければならないだろう。

ゲーム理論的なナッシュ均衡で個々の最適性を議論すると、全体としての効用が低下する恐れがある。

ナッシュ均衡は悪い意味で安定しやすいため、パレート効率性を重視する場合政策レベルでの議論必須である

2024-03-28

ちゃんとしてください」って麻薬なんかな

上司が同僚に書類の不備について「これだけでは駄目だ」の指摘の根拠精神論しか持ちだせておらず、

具体的な改善方法説明もできずに「ちゃんとしてください」と「もっとこう他にないんですか?」を繰り返していた

「こういう気持ちはないんですか?」

「ありますよ。こう書いてます

「これができてないってことはこういう気持ちがないんだと思います

「ありますよ。こう書いてます

みたいなループに入っていた

私はひどい会話だと思いながらも、同僚に助け船を出す方法が思いつかず、他の仕事を続けていた

上司書類説明補足を続ける同僚に最終的に「もっとこうどうしたらいいか自分で考えてくださいよ!」と言っていた

そのあと別の上司にその上司が「昨日も別の件でちゃんとしてくださいって言ったんですよ。○○な点をちゃんとしてほしいのに」と言っているのが聞こえてきた

ちゃんとしてください」って共通理解を作れていない場だったら、「私に合わせてください」って意味しかないと思うんだけどな

「私に合わせてよ!私と同じ気持ちなってよ!私に合わせてったら!」と言い換えるのは意地悪過ぎる気もするが、情報量としてはあんまり変わらない気がする

でも同僚が上司と同じ方向を目指すために「この書類目的は何ですか?」と聞いていたらそれはそれで怒ってそうだとも思う

今まで「ちゃんと」って相手に何も伝わらないかビジネスの場で使っちゃいけないんだろうと考えていた

しかしたら「ちゃんとしてください」と言うことで仕事をした気になるという効用を感じる人が一部いて、そっちのが周りに悪影響を与えるのかもしれん

言語化できないときに「ちゃんとしてください」を言い、それで相手反省してその場が収まった場合は、気持ちよさえ感じるのだろう

そして「ちゃんとください」常習犯になってしま

そのうち考え方さえ「ちゃんとしてほしいだけなのに」と思考を「ちゃんとしてほしい」に乗っ取られてしまうが、

本人は「ちゃんとしてほしい」ばかり使っていて言語化能力が衰え、周囲とのコミュニケーションがうまくいかず、自分の考えをその場での共通理解に育ててルールシステムに組み込むことができないまま、

「なんでみんなちゃんとしないんだろう。ちゃんとしているのは私だけだ」と思いつつ「ちゃんとしてください」を言い続けるのだ

ちゃんとしてください」の上司が別の上司に当該書類を見せて、どうしたらいいのかをアドバイスもらっているのも聞こえてきた

そこまで悪い人ではないんだろうけどなと思いつつ、でも自分で依頼した書類の精査と指摘を一人で完結させることはこの人にとって「ちゃんとやる」の範囲に入ってないのかなとも思った

さて、ここまで書いたように「ちゃんと」と言う言葉聞き手にも本人都合で如何様にも解釈できるため、「ちゃんとしてください」と言っている人をいくらでも悪しざまに書く材料にすらなりえている

「『ちゃんとしてください』って言う人は駄目だな」と言う時点で、理解不可能ものに対し、自分なりに理解し、善悪判断をするという悪手をとってしまっているのだ

それは「ちゃんとしてください」と発言する人と「ちゃんとしてください」を自分都合の言葉として扱うという点に置いて、あまり変わらない

ちゃんとしてください」はただ理解不可能ものだと扱うべきだ

書いていたものを読み直して反省したよ

ちゃんとしてください」は言うべきでないし、解釈すべきでない麻薬みたいな言葉なのだ

ただそれはそれとして、明日出社したら「ちゃんとしてください」の上司は席に座って不機嫌そうにしているのだと思う

きっつい

2024-03-26

最近書き始めた日記と、本人には見せない感謝言葉

近頃、日記を書くことの効用が分かってきたような気がする。

文章を読むことは他ならぬ知識の蓄積であるしかしながら、脳裏に浮かんだ取り止めのないことも形として残さなければ、それはただ消えゆくのみである

書けば文学、書かねば妄想。誰が言った言葉かも覚えがないが、実に的確なように思う。

怠惰で自堕落、そして堪え性のない私のことだから明日日記を書かないのかもしれない。

習慣化は難しいことで、習慣化してしまうことによって失われるものもきっとある

自分の思ったことをただ文章に書き連ねていると、それによって分かってくることもある。

書くべきか書かぬべきか。それすらも文字として並べていく。

兼好法師徒然草執筆過程がふと浮かんでくるようだ。

データは何年も残らない。

それでも日記を書くことにどれだけの意味があるのかと思う。

自己満足とはなんなのか、追い詰められた人間の搾り滓が文章なのか。

生きるというのは畢竟、苦に満ちたこである

その心の気休めとして書く文章に、私だけは誰よりも価値見出したい。

文章を書くことが、何よりも真摯に己に向き合うことだと信じて。

この余白の片隅から、誰にも見せない日記、その一節だとしても。

何も出来ない人間なりに、栄えある先達をささやかに見送らせて頂く。

敬愛すべき先輩方に心から感謝を捧げます

社会に正当に向かい合い、戦い続ける方々に、この上ない賛辞を込めて。

ありがとうございました。あなたと過ごした日々が、私の人生で最も価値のある時間でした。

2024-03-20

研究室博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか

背景

ある研究室博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。

第一章:業績に基づく資本主義化が進むアカデミア業界

PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。

当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。

これは資本主義挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である

第二章:年齢制限を設けることの合理性

年齢制限を設ける理由について、その研究室Webサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。

1.過去経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったか

2.研究費の応募基準年齢制限があるから

3.若年の方がスキル獲得に有利だから

4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから

1.についてはあくま経験論であり、一般化には議論余地がある(注2)。

しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から研究室が受け入れ学生年齢制限を設けることには一定合理性が認められる。

第三章:研究室におけるマッチングの難しさ

大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力ミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業ベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達論文発表が求められる。そのため教育マネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかミスマッチを防ぐかがポイントとなる。

しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室マッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレート博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分研究室広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチング成功率を上げるためにも年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。

第四章:PI養成所としての大学院と、学問の自由としての大学院のせめぎあい

PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることからアカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的大学院でのみ取得できることから大学院PI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院PI素養の高い候補者選抜することは自然なことのように思われる。

しかしながら、大学院本来学問を行う場であり、学問自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPI素養の高さに繋がるとしても、それを理由年齢制限を設けることには議論余地がある(注5)。

最終章研究室博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか

タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。

ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルド表現を心がける(注6)。候補者面談から受け入れまでのプロセス最適化させる(注7)。候補者研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチング支援する第三者機関設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。

研究室博士課程進学希望者のミスマッチ問題根深く、今回インターネットSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験もつ者としては、この問題解決を願ってやまない。

(注1)

業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である

(注2)

例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリア選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。

一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPI養成することだけが目的なのかについても議論必要である

(注3)

Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部卒業研究修士を通じて研究業界ノウハウキャリアパスを学ぶようであるが、医者卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。

(注4)

例えば同じ大学学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者卒業研究修士活動していれば、自分に合った研究室情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。

またポスドク助教以上の採用であれば前所属教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。

(注5)

同様の問題は、医学部入試女性浪人生差別記憶に新しい。医学部医者養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。

(注6)

研究者の研究以外の発言話題になることは、国内外でしばしば観測される。

(注7)

組織における採用については、Podcast経営中毒~だれにも言えない社長孤独~」に詳しい。

(注8)

給与を支払う一般企業ポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大大学でありながら学生給与を支払うシステムであり、応募資格年齢制限を設けている。

(注9)

医学部には卒業研究がないが、自主的研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部学生研究室一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。

(注10)

一般企業であれば転職支援サイトリクルーター仲介してくれて、候補者採用側のミスマッチリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービス存在しない。

2024-03-13

anond:20240312204519

他人のもの勝手に使えない状態にした(容易に手の届かないところに置いた)なんて、単純に財産権侵害でしょ。刑事罰範疇だよ。器物損壊罪かな。たとえば、他人のものを隠したりして使用を制約してしまことなんかも器物損壊。物の本来効用を害した時点でアウト。別に物理的に壊す場合だけに当てはまるわけじゃない。今回だと、「ベビーカーから発生する、新幹線から降りたあと子供を乗せて運ぶという便益を壊した」と言えば分かりやすいかな。というか、どういう神経してたら他人財産勝手に毀棄隠匿しておいて刑事罰にならない可能性があると思ったかの方が分からん人殺して、「でもあいつムカつくやつだったんですよ、何か罪になりますか」って言ってるレベルだよ。

2024-03-11

旅館ホテルの料金って、高いところに泊まってもそれほどの効用は得られない感じがするんだよな

寝室が何部屋もあって家具ハイセンスで、部屋の中にいる時間価値が生じるようなレベルのところは別かもしれないけど、それでも一泊二泊では何かが変わるもんでもないしな

それなら多少狭くても、交通の便が良くなくても、「この値段でこの宿泊体験はお得!」みたいなところを探し当てるのが楽しいコスパも良い気がする

探し出すのは大変だけれども

享受目的利益享受目的意味しない

著作権法第30条の4の享受目的とは

著作物表現された思想又は感情享受 と明文化されており、

著作物により得られる利益享受 を意味しない。

なお、思想又は感情享受とは

著作物等の視聴等を通じて、視聴者等の知的又は精神欲求を満たす

という効用を得ることに向けられた行為であるか否かという観点から判断される」

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/h30_hokaisei/pdf/r1406693_17.pdf  (p7)




https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ascii.jp/elem/000/004/188/4188529/

この程度のことも勘違いしてるやつが議論してる気になってるのアホらし

享受目的の開発学習って何だよ

思想又は感情享受目的学習段階なんてありえないだろ

2024-03-06

[] 経済学相対主義に対する処方箋

解像度が低いねぇ君は。わかるかわからいかの1bitでしょ、君の脳みそは。

経済といっても、さまざまな分野があって、効用無差別曲線ゲーム理論の話をするのはミクロ経済学。これはもう数学的には厳密なので100年後も教科書の内容に間違いはないだろう。

マクロ経済学はメトリクスを基準とした統計国家経済を扱う。GDPはその例だが、「労働時間あたりのGDP」といった指標国家労働生産性を測る一つの方法となることはよく知られる。因果推論を行うのも基本的には統計の話なのでマクロ経済学範疇になる。

これらの経済学は、現象部分的に見てみれば推測の能力は高く、正しく理解していれば経済現象説明できる。

ではなぜ「経済」の話をすると、経済危機とかが生まれるかというと、外部性などがあるから

サブプライムローン破綻基本的に「債務能力を超える貸付」を行なうことが可能であるという負の外部性によって説明できる。

経済学は「説明」をすることはできるが、「コントロール」をするのは政治の話で、政治家や官僚教科書レベルのことを理解していないこともあり得る。あるいは「マルクス」などを信奉しているどうしようもないのもいるだろう。

政治家や官僚対処しなければ負の外部性による市場の失敗を規制することができない。

結果的経済を「コントロール」できないのは、経済の中に潜む負の外部性をすべて扱う方法がまだ判明していないからであり、予測説明可能レベルにある事象は多い。

anond:20240306194910

2024-02-29

anond:20240229000255

経済支援所得の向上ができたとして、結局子育てハードルが上がるだけだから無意味

「夫の年収がたった1千万じゃSAPIX夏季合宿に通わせられないからとてもじゃないけど子育てなんて無理」

ってなるだけ

この理屈は偶にみかけるが、これが正しいなら今頃日本は40代以下ぐらいは最低でも全員修士卒ぐらいになってると思うが、実際は大学進学率すら6割超えてないぐらいなので事実と相違していると思われる。

必要学歴時代を経るごとに増えているのは確かだがその傾向を過大評価・過度に適用しすぎであるのと、効用限界を考えてないあまり線形的で単純すぎる考え方であるように思う。

2024-02-27

anond:20240227071300

重要なのはあくま個人効用の最大化だぞ。子持ちが子供未来社会を考えるのは、子の効用を高めることが自分効用も高めるからであってそれ以上のものではない。子無しだろうが子有りだろうが、自分個人効用のために利己的に投票するんだからどっちかを重く見る理屈はない。

加えて、子無しか子有りで変えるとなれば、20歳の未婚は将来の子を考えないのかとか、子が先に死んだ場合はどうなるのかとか、あるいは養子を取る可能性なんてかなり高齢になっても残っているとか、現実的に線引きが難しい問題が山ほどある。

2024-02-18

そもそも外需依存度が低い≠外需重要性が低い

外需からサプライチェーンが長い時には実はその中で外需認識されないものも含まれる。すると、外需コケるとサプライチェーン全体が傷んで内需も大きく落ち込む。リーマンショックの後が分かりやすいかな。蜂に刺された程度と言われたのに、外需の落ち込みが内需に波及してひどいことになった。本当に見るべきは外需依存度ではなく、外需感応度。外需1%減ったらGDP本体が何%減るか、それが高い国か低い国か。産業連関分析。始まりからして認識が間違っているから、その後の分析?も意味がないものになっているな。

あと、円高にすれば内需が拡大すると思っていそうだけどそれも勘違いで、円高になれば国内産品が安くなった輸入品と競合するからむしろ国内での付加価値生産は落ちる。もちろん安くなった輸入品を買えた人の効用は上がるが、需要が減って失業した人の効用は下がる。

ついでに言うと海外からモノが買えなくなることも懸念しているようだが、それは円高解決するものではない。海外からモノを買うには外貨が要る。それを獲得するにはモノを海外に売る必要がある。円高はそれに貢献しない。銀行など外貨両替商はあくまでそれを仲介しているだけで外貨を円から生み出すわけではない。どれだけ有利に外貨を獲得できたかを表すもの為替レートではなく、交易条件。そして交易条件に対する為替の影響は極々軽微なもの

anond:20240218115032

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