はてなキーワード: ネガティブとは
治ったら良い考えも浮かぶさ
って言うけど一体何年前の話だよ
俺は90年代に小学生だった中年オヤジだけど、新大陸発見とか植民地支配のネガティブな側面は学んだ記憶があるし、
インディアンじゃなくてネイティブアメリカンと呼びましょう、エスキモーじゃなくてイヌイットと呼びましょう、
•女さん
→蔑称らしい(確かにネット上だとバカにするときに使いがちではあるかな)
•お馬鹿さん
「さん」付けを使って丁寧なフリをした悪口(と文句を言われる言葉)ってたくさんあるよなあと思って書き始めたけど2個しか出ない。他になんかあるかな。
NHKのクローズアップ現代で官僚の働き方に関する特集がなされ、はてブでも多数のブコメがついた。([B! 労働] “ブラック霞が関”の働き方は変わるのか?現役官僚たちの本音を聞きました - クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス、
[B! 労働] NHKのクローズアップ現代、国家総合職の面接前日に「悲鳴をあげる"官僚”たち」の実態を放送するところから本気度が伺える)
だが、ここでの人気ブコメと私自身当事者として経験してきたことが大きく乖離しているので、あくまでn=1としての感想を記しておきたい。
本題に入る前に自身の経歴を書いておく。
国家1種(現総合職)採用後、複数の本省庁で係長級を3回、課長補佐級を4回、地方機関で課長級を2回、都道府県庁で課長級を1回経験。
本省庁では法案作成、予算要求、国会対応いずれも経験あり(霞が関の残業の大きな要因がこの3つ)。
多くのブコメで指摘されていたのがこれだ。確かに国会答弁を作るのは深夜早朝に及ぶことが多く、疲弊する。だが、それが必要なこともまた確かだ。
大臣にしろ役人にしろただの人でスーパーマンではない。そして各省庁の業務はどれも多岐にわたっている。事前に準備して置かなければ、「御指摘の事実について、報道されたことは承知しているものの、事実関係の詳細は承知しておりませんので、調べた上で述べさせていただきます。」とのような答弁が並ぶことになり、国会がまともに運営できなくなる。
国会での質問は、政治家個人にではなく「○◯省を所管する大臣」に対して行われる。当然、大臣としては◯◯省の組織を使って答弁の準備をするのが職責に適うと思われる。
ちなみに、答弁は政務三役(大臣・副大臣・政務官)だけでなく、役人(おおよそ審議官〜局長)が行うこともあるが、当然その答弁も担当部局が作成する。
なお、政務三役に対する質問で、それが政務三役としてではなく、政治家個人として問われているものについては答弁書は作成しないことが一般的だ。例えば政治信条やスキャンダルに関するもので、質問票に「政治案件」とかわかるように追記されている。(こういうのって誰が答弁書いてるんだろうね?秘書官を中心にかな?知らんけど)
これは大臣によるが、多くの場合役人の作った答弁書がすべてそのままOKとはならない。
私の経験していた代表的な答弁作成スケジュールと答弁の作り方を示しておく。
委員会2日前
ポツポツ議員から質問案が届くので質問一覧(質問票や問表と呼ばれたりする)とそれに対する答弁案を作り始める。
委員会前日
18時ころになってもまだ質問内容が判明しない議員や、判明したとしてもあまりに範囲が広すぎて準備ができないもの(代表的なのが質問内容を「内政について」「外交について」とFAXしてきた民主党の某議員(うろ覚えだがたしか日曜日の22時だったような))についてバタバタし始める。
遅いときで24時をまわってからの答弁作成になるので、深夜労働は避けられない。
また、22時点までにできあがっている答弁書について、大臣に説明する。多くの場合大臣から修正指示が入る。
委員会当日
丸一日委員会(午前3時間午後3時間)が行われる場合、各部局が用意する答弁は100問を超える。委員会は朝9時から始まるため、150分ほどで100問分の説明を終わらせる。午後の答弁については昼休みに回すこともある。
正直言って、単純な業務量だけからしても個別の答弁を作っているよりも大臣の方がかなりキツイと思う。あの人達が過労死しないのは謎だ。
(答弁作成の流れ)
例えば、「○県△市で□が起こっていると聞いた。住民科は打数の苦情が出ているそうだが、国としても対応するつもりはあるのか」という問いだったとしよう。
まず行われるのは、どの省局課係がその答弁を書くのかという綱引きだ。その答弁なら当然うちが、というものもあれば、そんなの書きたくないよという押し付け合い(消極的権限争いともいう)もあるが、概ね1時間程度で決定される。
次に事実関係の確認だ。質問の前提となる事実が正確かどうか確認をする。
質問者がかなり角度をつけて事実を述べていることがあるので、国の出先機関や都道府県・市町村にお願いして情報を出してもらう。ここの数字が少しでもズレると「隠蔽だ」などと言われるので慎重かつ迅速に行う。データベース化されていればいいのだが、すべてのことのデータベース化など不可能だ。
事実関係の確認が終われば答弁の作成に入る。ぶっちゃけここは大して時間はかからない。長くても1時間もあれば終わる。
そして、上司の了解を取る。局長答弁であれば、課長補佐と課長と局長の了解さえ取れば良い。ここは常日頃から意思疎通もできているので簡単だ。大臣答弁であれば、局内だけでなく、大臣官房(会社組織で言うところの総務部とかの中枢部門)の了解がいる。ここは局としての答弁ではなく、省全隊の答弁として適切かどうかという観点からチェックするので割と修正が入ることが多い。
それと並行して、他省庁に関係が及ぶ答弁になると関係省庁の同意(合議(あいぎ))を取っておく。国会答弁は政府としての約束になるので、ここで大臣が「やります」と答えて、実施のために予算が必要になった場合、財務省が承知していないと困るわけだ。
この、関係各者への了解を取り付ける作業が極めて長い。全体としての整合性を問われなきゃ楽なんだろうけどそういうわけにもいかないだろう。
一番疑問に感じているところはここだ。正直言ってこれで役人の待遇が下がったとは思えない。
何故か。そもそも、内閣人事局ができる前も、幹部公務員の人事は政治家の意向が反映されていたからだ。
内閣人事局ができる前から、各省庁の公務員の人事権は各大臣が握っているので当然だ。だから、内閣人事局ができて変わったことと言えば、人事に各省大臣だけでなく総理大臣の意向が反映されるようになったことくらいだろうか。そして、それはときの政治家によって積極的に行使される場合もあれば、「よきにはからえ」とされることもあるだけだ。
私の目の前で局長が大臣に反論してすぐ飛ばされたのを見たときは戦慄した。
もともと、役人の間では、「真ん中以上でいれば指定職(審議官や局次長クラス。このクラスまでなると退職金が跳ね上がるので一つの目標)まではなれる。それ以上は政治が絡む」ってのは共通認識だったと思う。
ただ、内閣人事局ができたせいで官僚の自律性が落ちた、や政治家の言いなりになるようになった、などと大々的に報道されることによって学生の方々にそのような認識が植え付けられ、志願者減につながっている可能性は否定しないが。
役所に入る時点で政治家やコンサル等に転じる予定だった人はともかく、入ってから宮仕えにネガティブな印象を持って去っていくのは、概ね①激務に耐えかねて、②ワークライフバランス確保のため、③より高い報酬を求めて、の3通りだ。割合からすると20%、30%、50%くらいだろうか。
人を増やすことで一定程度の解消は可能だが、この施策は賃金と出世の下方圧力になる。
今なおあえて霞が関に残っている人からすると、賃金はともかく出世競争相手が増えるというのはモチベーションに響きそうだ。
ちなみに、20年ほど前に活発にブログを書かれていた官僚のbewaadさんは概ね以下のようなことを述べていた気がする。
○役人として入ってくる人は激務には耐えられる人が多い。薄給もまぁそう。ただ、いわれのないバッシングは堪える。
①と似ているが、こちらは育児や介護などライフイベントで去らざるを得なくなるケースだ。この場合、概ね地方公務員なんかが受け皿になることが多い。また、本人が降格願いを出して、ほぼ転勤がない強度の低い仕事に移ることも多い。
あと、省庁にもよるが頻繁に転勤がつきもののところもある。役人同士なら転勤先を配慮してくれたりもする(配偶者の留学に同行するための休職なんてのもある)が、そうでもなければ別居や単身赴任となる。このご時世それで人を引き留めたりは難しいだろう。
③報酬
私の周りの場合ほとんどがこれだった。特に外資コンサルへの転職が典型的だ。
特に結婚したり子供ができたりして、これからどれくらい必要か真剣に考え始めると、その誘惑は抗いがたい。
必ずしも悪いことではなく、正当に評価されるところにいくのは当然だと思われる。
(ちなみに学歴的にも経歴的にも決してキラキラしてないフツーの役人に給料倍以上でオファーがある。景気良いね)
引き止めるためにはとにかく金。
あとはできればちょっとした敬意。一応叙勲の対象にはなるけど、今どき70歳を超えてからなのはねぇ。旧軍みたいに感状でも出すか?
もう一つ、別の視点からだと、労働時間の上限を決めて必ず守らせ、それにより発生するミスは受け入れること。役人の中にはいろんな意味で仕事が大好きな人も多い。無給だろうがどんどん働く人達だ。また、この人たちはえてして極めて有能であり、役所の仕事の大きな部分が担われているのも間違いないのだが、この人たちの働き方が標準になってしまっていて、皆それに合わせざるを得なくなっているのもまた否めないところだ。
なら、労働法と同じように上限も決めてしまって、彼らに一切働かせないとしてはどうだろうか。(というか今でも一応上限はあるんだけどね、有名無実になってるだけで)
最後の案は仕事のクオリティは間違いなく下がるけど、持続可能性という意味ではアリではないかな?
ちなみに、少なくとも2年前の時点では霞が関の勤務環境は20年前と比べたらずいぶんと改善されている。財務省に説明に行ったら怒鳴られて灰皿を投げつけられたなんて噂が残ってたような時代だが。
少し前に同僚にリファレンスチェックを書いてくれと頼まれて書いた。
依頼してくれた同僚にはネガティブな気持ちは全くないし、過去に関わった誰から依頼が来ても喜んで書く。自分なんかで良ければ、という感じ。
ただ、書く見返りはまったくないし、それを当然のようにしているリファレンスチェック企業・利用企業に腹が立つ。
例えばbackcheckの「推薦者には何かインセンティブがありますか?」のページ↓
https://backcheck.commmune.com/view/knowledgebase/post/4192
「信頼関係を前提としている」から「見返りがない」って意味わからんのだけど。
インセンティブがあると良いことしか書かれないとか?そもそも信頼関係あるなら良いこといっぱい書くわ。
50分拘束するくせにこの言い様である。しかもちゃんと考えたら50分どころではない。
リファレンスチェックの会社の記事も、利用を推奨する会社も、回答者に対する気遣いが全く無い。
「次君が転職するときのリファレンスチェックで頼れる人が増えるよ^^」みたいなことしか書いてない。舐められている。
リファレンスチェックに需要があるのはわかる。だが人の信頼関係にタダ乗りして無料※で情報を集めて、さもそれが当然という雰囲気を出しているところが気に食わない。 (※情報自体に金は払っていないという意図)
この仕組み早く廃れるか、ちゃんと回答者に少しでも利益がある・感謝が伝わる仕組みになってほしい。
現状だと依頼者・回答者に負担を押し付けて「この人のリファレンス書いてくれるでしょ??この人のためだったらちゃんと書くよね??^^」と足元見てくる無礼なサービスでしかない。使っている企業も同様。
妻がとある出来事で精神的なバランスを崩していて、なにかあるたびにそのことで愚痴を言うようになった。もともと性格的にネガティブで愚痴っぽい性格だったんだけど、それが輪をかけてという感じ。
妻とはもうずいぶん長いから愚痴を聞くこと自体はもう慣れたものなんだけど、最近はそうでもないように感じる。
最近は、愚痴を聞くたびに「またその話か…」と思ってしまうし、なんなら聞いているうちにイライラしてくる。そして、愚痴を一通り聞いた後はひどく疲れを感じてなんだか無気力になる。いまは自宅で仕事をしてるので仕事の合間に愚痴を聞いているのだけど、愚痴を聞いた後は仕事に戻るのに時間がかかってしまう。妻の方はスッキリしているようだが、こちらはひどく気分が澱んでしまい、スマホをいじったり何かしらの家事をするなど、多少の気分転換をしないと仕事のようなエネルギーを必要とすることができなくなってきた。
この日記を書いているのも妻の愚痴を小一時間ほど聞いて澱んだ気持ちを拭うために書いている。ここ最近はとくに妻のメンタルが不調なので仕事がめっちゃ溜まってて、今日も徹夜だな…
次の瞬間には忘れているくらいだった断片的な違和感の全体像が作品内では明確に示されていて、私にとっては悪い意味で相手方の価値観について符丁が合った。
こういうことが向こうでもあったんじゃない?
輝きながら繋がる
というフレーズがあるけど、このようなことがネガティブな方で起こってしまうきっかけがあったんじゃないかな。
単一では断片的で意味をなさないサインが点在してるだけのうちは深く考えなかったものが、相手の行動をネガティブに解釈するスイッチが入ることで悪い一貫性が見えてくることってある。
きっかけは流石に強い違和感を覚えざるを得ないひとつの出来事かもしれないし、アレルギーの発症のように小さな負の蓄積が閾値を超えたのかもしれない。
往々にして相手を美化しがちだった関係で起こるよ。相手の行動をネガティブに考察する発想がない期間が長いとそうなる。気付いたら手遅れの量が一気に来るからね。逆に初めから清濁併せ飲めたら中々起こらない。
その人たちだって普段は楽しく浅く綺麗な空気のものを読みたいはずだ
私がそうだから
でもなあ
ネガティブな時ほど、言いたいこと書きたいことに勢いがあり
せっかく吐き出し先として作ったアカウントなのに、ぜんぜん吐けてない
その時にオンラインで実施された一次面接で人生初の圧迫面接を体験したので、感想や圧迫面接に対して考えたことをまとめておくことにする。
転職活動中にとあるベンチャー企業の書類選考が通って一次面接を行うことになった。転職エージェントを使用していたので、書類選考や一次面接のやり取りはエージェント経由で連絡を取っており、一次面接で初めて企業の人間と対面した。
一次面接はZoomを使ってのオンライン面接だったのだったのだが、ルームに入った瞬間から不機嫌な感じで「それでは面接を始めます」と。担当者は20代後半らしき男性。
話し終わる度に、強い口調で「それだけですか?」と毎回聞かれる。決して一問一答ではなく聞かれたことに対して的確に回答した。
そして経歴を確認して「あなた年収低いですね」とか、「既存の社員よりも努力して這い上がる覚悟がありますか?」などと今まで面接では経験のないような言葉使いと態度が続いた。
そもそも、面接前に会社の評判について調べていたら、働き方、社内の雰囲気、残業についてネガティブなレビューが並んでおり、面接前から少し不安ではあったのだが、レビューは辞める時に書く人が多いので何かしらの不満が集まりやすい。そのため、面接に行ってみて自分で判断しようと思っていた。
面接の態度からもうこの企業はないかなと思っていたので、逆質問の時に、ネガティブなレビューを見かけたがその辺りはどう思いますか?と聞いてみた。
すると「ライフワークバランスとか気にしちゃう感じですか?」「残業したい人は残業するし、定時で帰る人は帰りますよ」と。その後、若干の焦りとともに言い訳のような業務委託が〜、頑張った人が評価される〜と説明が続いた。
かなり失礼な態度だったので、Googleマイビジネスや会社の評判に今回のことを書いてやろうかと思った。(やらないけど)
ベンチャーの面接が初めてだったのでベンチャー企業ってこんなものなのかと思ったが、今まで複数の面接を受けたことがあるが、それに比べてあきらかに高圧的だと感じたので、いわゆる圧迫面接だったのかなと思った。
よく圧迫面接にはストレス耐性をチェックする目的があると言われる。高圧的な態度や失礼な質問をすることで、求職者の緊急時の対応を見ていると。
しかし、30分やそこら、長くても1時間程度の面接ではストレス耐性は見極められないと思う。
新卒の学生の就職活動であれば「これが社会か」と身を引き締めるために多少は意味があるかもしれないが、社会人として社会経験がある転職を考えている人だと、圧迫面接を行ったところで動じないし、気分が悪いだけで何も意味がないのではないかと思う。ただ嫌な気持ちになるだけ。
今回、人生で始めて高圧的な面接を受けたので、その会社と担当者のことを鮮明に記憶している。求職者は書類選考を通過して会社の人間と直接対面するのは一次面接からなので、一次面接の印象が会社の印象となる。もっと言うと一次面接を担当した人の印象が会社の印象となる。
ということは、実際には社内の雰囲気と一次面接の担当者の雰囲気に相違があったとしても、他に判断する材料がないので、一次面接を通過しなかった場合は一次面接の担当者の印象=会社の印象となる可能性が高い。
正直、私は今回の面接を通して会社に対して悪い印象を持ったし、今後関わりたくないとも思った。また今後どこかでその会社について話す機会があった場合、必ず今回の圧迫面接について話をすることだろう。
圧迫面接は求職者は嫌な思いをするし、会社は悪評価が広まるし、誰も得しない。
あと圧迫面接を行う担当者に言いたいことは、こっちも選んでいるということだ。圧迫面接を行う企業は選ばれているという意識がないのではないかと。
求職者と企業が等しく平等な立場であるとは思わないが、決して一方的に選ぶ、選ばれるという関係ではない。
私は採用担当の経験がないので社内の採用担当者に「圧迫面接を受けたのだが、圧迫面接についてどう思うか?」と聞いてみた。圧迫面接に何か他に明確な目的があって行なっている可能性があるかもしれないと思ったからだ。
すると、「圧迫面接を行なったことはあるが、取り繕った姿しか見れないので入社後に相違が生まれやすい。和やかな雰囲気の面接の方が良い意味でも悪い意味でも相手の素が出やすい。
"その隙に見せる素を見逃さないようにしている"」と。
お手本のような面接官としての答えが返ってきた。そして「圧迫面接しちゃう面接官は面接に慣れてないのかもね」と。
それを聞いてあの圧迫面接をかましてきた担当者は、余裕がなかったのかなと可愛く見えてきた。
圧迫面接の求職者側の唯一のメリットは企業の社風を入社前に見極めれることだと思う。
その通りだけど、少し冷静になってみるといいっスよ。猫カフェとコンカフェの違いは、少なくとも表面的には明らかっス。猫たちが楽しんでるかどうかはオーナーの管理や設けられた環境次第っス。確かに、猫カフェで飼われてる猫たちにとっては自由が制限される部分もあるかもしれないけど、それを一概に性奴隷と同列に考えるのは少し過激すぎると思うっス。忌憚のない意見ってやつっス。
動物の権利に関しては確かに考えるべきポイントだね。特に、愛玩動物の飼育という概念自体に問題があるとする意見も耳を傾ける価値があるっス。でも、その議論を進めていくと、どこで線を引くのかが非常に難しい問題になるっス。節足動物までならセーフとか、そんな簡単な区分けで問題が解決するとは思えないっス。忌憚のない意見ってやつっス。
社会の終わりとか、黒人奴隷の話を持ち出して現状をネガティブに語るのもわかるけど、それもまた一つの視点に過ぎないっス。確かにたくさんの問題が存在するけど、それを改善するために働いている人たちもいるわけで、そこに希望を持つことも重要と思うっスよ。忌憚のない意見ってやつっス。
興味深かった。
評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。
というのよく分かる。
テレビの不祥事報道やネットの炎上にグチグチ言ったり、ネガティブな情報に触れすぎてると、それが当然なことみたいになっていって、ネガティブな人間性ができあがると思う。
何かと何かを比較していい悪いを評価していくのが当然みたいになっていくと、「いい」を評価するために「悪い」を探して下げてゆくようになったりする(マナー問題)
比較のいいねをしないように「いい」を探してゆくのって難しいよね
でも
他者への感謝をいっぱいすることで、「感謝されない!イライラ」が湧いてきそうな気持ちを量で追いやろうということ?
家族の口癖が「感謝が足りない!」なので、これをどうにかできる方法があるなら知りたい。
私の家族への感謝が足りないんだろうけど、いくら言っても言ってもこれなので、無限の感謝を要求されてて正直ウンザリ。
「感謝が足りない!」思う気持ちは、そう思う人が自発的にあなたみたいに「感謝が足りないとイライラし始めてはならない」と自分を律していくしかないんじゃ?と思うんだけど、それができない人は無限の感謝要求マンになり、家族は感謝ロボになるしかないのかなやっぱり。